魏京生
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魏京生(ぎ きょうせい、ピン音: Wèi Jīngshēng、1950年5月20日 - )は、中国出身の民主運動家。王丹らとともに「民主闘士」と称される、中国民主化運動のシンボル的存在。
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[編集] 中国国内の活動
1950年北京で人民解放軍退役軍人の子として生まれる(省籍は安徽省)。文化大革命期は中国人民大学附属中学で紅衛兵として活動。1969年から兵役。1973年から北京動物園で電気技術者として勤務しつつ、北京大学で歴史を学ぶ。1978年、第1次天安門事件を契機とした民主運動の高まり(「北京の春」)の主導者の1人となり、雑誌『探索』を編集。壁新聞で鄧小平の改革路線を批判した。当時の共産党の標語「四つの近代化」に対し、第五の近代化(政治の近代化=民主化)を提唱。これらの活動が共産党を刺激し、翌年3月29日逮捕される。10月16日軍事情報漏洩罪・反革命煽動罪として懲役15年の刑に処され、1993年に仮釈放されるまで14年半もの間、服役する。
仮出所後は外国要人・メディアとの会談などで、積極的に中国の政治や第2次天安門事件、人権問題などを批判したため、再び共産党から睨まれ、1994年4月に再逮捕。翌年12月政府転覆陰謀罪により再び懲役14年の判決を受ける。しかし、獄中の虐待により重病となったとの情報が流れ、以前から釈放運動を行っていたアムネスティ・インターナショナルなどの人権団体や外国メディアからも釈放要求が高まったため、1997年11月16日、病気療養を名目として再び仮釈放。2度の入獄、18年の服役を経験した。
[編集] 亡命
事実上の国外追放処分となったため、渡米。以後はアメリカ合衆国を拠点として内外の民主化運動と連携し、活発な民主化運動を行っている。人権問題のみならず政治・外交でも積極的に中国批判を行い、またたびたび台湾を訪問して与野党幹部と会談し、北京による台湾併合の動きに警鐘を鳴らしている。
1998年9月にはアムネスティ・インターナショナル日本支部の招待で日本を訪問する予定であったが、直前にパスポートの盗難に遭うという不可解な事件が起きたため、延期を余儀なくされた。2006年10月下旬に実現した日本訪問では、中国について北朝鮮問題や経済関係だけを優先せず、貧富の格差・人権侵害・民主化といった問題について注視するよう講演会で訴えた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 魏京生基金会
- 第五个现代化:民主及其他 (『第五の近代化』原文:中国語)
- THE FIFTH MODERNIZATION(上記の英訳)
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