高見盛精彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高見盛 精彦(たかみさかり せいけん、1976年5月12日 - )は、青森県北津軽郡板柳町出身の大相撲力士である。本名は加藤 精彦(かとう せいけん)。東関部屋に所属する。得意は右四つ、寄り。アマチュア相撲出身。血液型はO型。現在の最高位は小結。身長188cm、体重137kg。
目次 |
[編集] 人物
角界屈指の人気力士で、その取組には常に多数の懸賞金がかけられる。 土俵上で肩や腕を動かしたり握り締めたりする仕草や島木譲二の「パチパチパンチ」のように顔や胸を叩く、ユーモラスな「気合入れ」がファンの人気を集め、貴乃花引退後の角界を沸かせている。またこのぎこちない仕草から角界のロボコップの愛称で親しまれる(名付け親は同部屋の元横綱・曙)。この「気合入れ」は過去に土俵で怪我をした経験から、二度と怪我をしないように気を引き締めようと始めたらしい。また、勝った際には胸を張ってずんずんと、負けた際には肩を落としてしょんぼりと花道を退くという好対照な姿も面白い。
得意の右四つの体勢になると力を発揮するが、なれない場合あっけなく負けてしまうことが多い。稽古場では格下の力士にあっさり負けてしまうことが多いため、しばしば親方衆や横綱・朝青龍、大関・魁皇などから稽古場でも本気を出すよう叱責される。2003年には幕内上位~三役に定着し、大関昇進を強く期待されていたが、その後も衰えない人気とは裏腹に、現在は幕内中位以下が定位置となってしまっている。横綱・朝青龍とは2004年5月を最後に対戦がない。
元関脇・追風海は板柳町出身の同郷で中学、大学の1年先輩、岩木山は弘前実業高校の1年先輩、琴光喜とは日本大学時代の同級生である。また、中学時代、若の里、武州山は青森県で同学年の相撲のライバルだった。
最近はアサヒビールの発泡酒、永谷園、日本盛、全日空のCMに出演するなど、さらに人気が沸騰している。
相撲は板柳北小学校の4年生から始めた。きっかけは当時いじめられっ子だった高見盛を見かねた担任が「相撲部に入らなければ給食を食べさせないぞ!」と叱責したことによる。以来、現在と変わらない"ここ一番の勝負強さ"で中学横綱、国体優勝、全日本選手権優勝(アマチュア横綱)の実績を重ねた。
近眼であり、普段は眼鏡をかけている。そのせいか、勝ち名乗りを受け懸賞金を受け取る際に掴み損ねて落とすというハプニングを起こして館内に爆笑を誘ったこともある。また、女性も眼鏡をかけた人が好みということで、メガネがトレードマークのタレント・時東ぁみから花束を贈呈されたことがある。
[編集] 略歴
- 弘前実業高校を経て日本大学経済学部卒。
- 1999年3月 - 3月場所にて幕下付け出し初土俵。四股名は本名と同じ加藤 精彦。
- 2000年1月 - 十両昇進、四股名を高見盛 精彦に改める。
- 2000年3月 - 初めて髷を結う。
- 2000年7月 - 幕内昇進。
- 2000年9月 - 初めて大銀杏を結って土俵に上がり、念願であった部屋の横綱・曙の土俵入りで露払いを務めた(幕内に昇進しても大銀杏が結えないと横綱土俵入りに参加できない)が、3日目の若の里戦で右膝前十字靱帯を断裂し途中休場。
- 2000年11月場所と翌年1月場所を全休し、幕下東筆頭まで番付を落とす。
- 2001年11月 - 十両に復帰。
- 2002年1月 - 十両優勝。
- 2002年3月 - 幕内に復帰し「気合入れ」を始める。
- 2002年9月 - 小結昇進。
- 2003年11月17日 - 日本相撲協会のアンケートで好きな力士1位に選ばれる。
- 2004年7月6日 - 7月場所3日目、同郷の先輩・追風海戦で幕内では初めて「後ろもたれ」の珍しい決まり手で白星をあげる。
- 2005年9月 - 途中休場の朝赤龍に代わって横綱・朝青龍の土俵入りで太刀持ちを務めるが、最初の日に太刀を天井にぶつけるアクシデントも。
- 2006年11月 - 東前頭9枚目で8場所ぶりに10勝をあげる。来場所は幕内上位への復帰が濃厚である。
[編集] 主な成績
2006年11月場所終了現在
- 通算成績:317勝275敗41休(47場所)
- 幕内成績:222勝232敗11休
- 幕内在位:31場所
- 三役在位:2場所(小結2場所)
[編集] 各段優勝
- 十両優勝:1回(2002年1月場所)
[編集] 三賞・金星
[編集] 四股名履歴
- 加藤 精彦(かとう せいけん)1999年3月場所-1999年11月場所
- 高見盛 精彦(たかみさかり -)2000年1月場所-
[編集] その他
- 同じ青森県は深浦町出身の安美錦には相性が悪く、2006年11月場所時点での対戦成績は高見盛の1勝9敗で高見盛の9連敗中である。また11月場所中日には大逆手という珍しい決まり手で敗れている。これは2001年1月にこの技が追加されてから幕内では初めてのこと。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 高見盛◇精彦の間(ファンサイト)