高木虎之介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
F1での経歴 | |
国籍 | 日本 |
活動年数 | 1998 - 1999 |
所属チーム | ティレル, アロウズ |
出走回数 | 32 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1998年オーストラリアGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1999年日本GP |
高木 虎之介(たかぎ とらのすけ、1974年 2月12日 - )は静岡県静岡市(現在の静岡市出身のカーレーサー。東海大学工業高校(現東海大学付属翔洋高等学校)卒業。 1995年中嶋企画と契約。中嶋悟氏との二人三脚が始まる。 1998年ティレルよりF1参戦。 チームメイト(リカルド・ロセット)を圧倒するも翌年チームが解散。 翌年のアロウズではマシンのポテンシャルが低かったこともあり成績は振るわずF1撤退。 フォーミュラ・ニッポンに復帰し、チャンピオンに輝くも翌年のF1のシートはなく、中嶋企画を離れ、トヨタエンジンでアメリカのCARTに挑戦。 翌々年、トヨタエンジンとともにIRL挑戦。 2005年より再び自らのチーム(チーム:TAKAGI PLANNING with CERUMO)を率いてフォーミュラ・ニッポン復帰。 スピードに対する才能は抜群。1995年の全日本F3000デビューの際は、衝撃的であった。
フォーミュラ・ニッポン、F1、CART、IRLなど豊富な参戦経験を持つ。2005年シーズンより4年ぶりに国内のレースに復帰、フォーミュラ・ニッポンでは独自のチームを結成して挑むほか、SUPER GTに参戦した。なお、「ハコレース」はSUPER GTが初めての経験であったが、立川祐路とのコンビで見事チャンピオンに輝いた。
[編集] 経歴
- 1989年 全日本ナショナルカートA2クラス シリーズ優勝
- 1990年 全日本カート選手権A2クラス 優勝
- 1992年 フォーミュラトヨタ参戦
- 1993年 全日本F3選手権参戦 シリーズ
- 1994年 全日本F3選手権 シリーズ6位 全日本F3000参戦
- 1995年 全日本F3000選手権 シリーズ2位
- 1996年 フォーミュラ・ニッポン シリーズ4位
- 1997年 フォーミュラ・ニッポン シリーズ6位
- 1998年 F1参戦(チーム:ティレル(Tyrrell))
- 1999年 F1(チーム:アロウズ(Arrows))
- 2000年 フォーミュラ・ニッポン シリーズチャンピオン
- 2001年 CART参戦(チーム:ウォーカー・レーシング(Walker Racing))
- 2002年 CART(チーム:ウォーカー・レーシング(Walker Racing))
- 2003年 IRL(インディ・レーシング・リーグ)参戦(チーム:モーナンレーシング(Mo nunn racing) シリーズ10位、インディ500ルーキーオブザイヤー
- 2004年 IRL(チーム:モーナンレーシング(Mo nunn racing)
- 2005年 フォーミュラ・ニッポン(チーム:TAKAGI PLANNING with CERUMO)、SUPER GT(チーム:ZENTセルモスープラ)GT500クラス・シリーズチャンピオン
- 2006年 フォーミュラ・ニッポン(チーム ルマン))、SUPER GT(チーム:ZENTセルモSC)
[編集] 関連項目
2006年度 TOYOTA・SUPER GT 参戦リスト |
GT500 |
---|
1TOYOTA TEAM CERUMO・立川祐路/高木虎之助 |
6Mobil 1 TOYOTA Team LeMans・飯田章/片岡龍也 |
25TOYOTA TEAM TSUCHIYA・織戸学/土屋武士 |
35TOYOTA TEAM KRAFT・服部尚貴/ピーター・ダンブレック |
36TOYOTA TEAM TOM'S・脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー |
66TOYOTA TEAM SARD・アンドレ・クート/平中克幸 |
GT300 |
19RACING PROJECT BANDOH・松田晃司/脇阪薫一 |
52TOYOTA TEAM CERUMO・竹内浩典/嵯峨宏紀 |
101apr・新田守男/高木真一 |
777梁山泊 with apr・田中実/大嶋和也 |