高島平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高島平(たかしまだいら)は、東京都板橋区の地名。郵便番号は175-0082。
目次 |
[編集] 地理
板橋区北部、荒川及び新河岸川南岸に位置する平地。総面積332ヘクタール。高島平一丁目から高島平九丁目まであり、高島平二丁目は約3分の2、高島平三丁目は約2分の1の地域が高島平団地(高島平二丁目が賃貸、高島平三丁目が分譲)となっている。北側に新河岸、西側に三園、南側が赤塚、西台及び徳丸、東側に蓮根と接している。
都営地下鉄三田線で東京都心に直結、国際興業バスで豊島区池袋駅、北区赤羽駅、板橋区内成増駅、埼玉県戸田市戸田競艇場(レース開催時のみ)などと結ばれている。
区画は整理されており、高島平地域内の道路は縦横ほぼ90度に交叉するため、住所表示による道順案内が容易にできる。
現在は全体が平坦な土地で、地域内の高低差はほとんどない。
[編集] 歴史
高島平としての歴史は浅く、名称は1969年(昭和44年)に誕生した。徳丸ヶ原或いは徳丸田んぼと呼ばれていた地域330ヘクタールを日本住宅公団(現在の都市再生機構)が1956年(昭和31年)に買収、東京都心に直結する交通機関(都営地下鉄6号線、現在の都営地下鉄三田線)を整備した上で一大団地を建設するという計画を進めた。この結果誕生した団地の呼称を選定するに当り、高島秋帆にちなんで高島平団地と命名、一帯を農業地から住宅地に改変して高島平と改称したのが昭和44年である。
[編集] 文化・教育
高島平団地への入居開始は1972年(昭和47年)から始まる。団地以外の地域も、高島平全域が新興の住宅地であり、地下鉄による都心への交通が確保されていたことから若年層が多く転居・入居した。旧来よりこの土地に生活していた人々は多くなかったが、その大半は立ち退きを迫られ、あるいは整備された宅地に転居した。この結果、それまで一面の田んぼであった徳丸ヶ原には、高島平団地のみで2万人以上、高島平全域で5万人の人口を抱える一大住宅都市が現出したのである。こうして全く新しいコミュニティーが形成された結果、高島平には就学前教育機関、小学校、中学校、高等学校が公の手で整備され、団地内には図書館・警察署・消防署・役所(板橋区役所高島平出張所)・病院なども順次整備された。さらに、商業施設やスポーツ・レクリエーション施設も多く投資・整備された。
この結果、多くの高島平居住民は地域内で生活全般が充足され、地域内の結びつきをより強くすることとなっていった。 また、当時分譲された高島平一丁目・高島平四丁目・高島平五丁目は閑静な住宅街として中間所得層の人気を集め、全般に教育水準・所得水準の高い家庭が多く、子弟は比較的高学歴で、引き続き居住を続ける傾向があり、地域社会は循環している。 これに対して団地居住民の子弟は成人後或いは就職後にひとり立ちする傾向が強く、団地の人口は減少傾向で、高齢化が見られる。
かつて最盛期に高島平には公立(板橋区立)の高島第一から高島第七まで七つの小学校、同第一から第三までと西台の4つの中学校があった。少子高齢化が進み、幾つかの小学校は統合或いは廃校されており、今後もその傾向は続くものと思われる。
中学校については全体の教育水準が高い地域であるため、越境入学なども見られることから統合の予定は無いが、生徒数は減っている。
[編集] 交通
- 主な道路:首都高速道路5号池袋線(中台及び高島平出入口を利用)、国道17号(新大宮バイパス)、東京都道446号長後赤塚線、東京都道447号赤羽西台線(高島通り)
- 主な鉄道:都営地下鉄三田線(西台駅、高島平駅、新高島平駅、西高島平駅)
[編集] 公共施設
- 小学校:高島第一小学校・高島第二小学校・高島第三小学校・高島第四小学校(現在は高島第六小学校に統合され廃校)・高島第五小学校・高島第六小学校・高島第七小学校(以上板橋区立)
- 中学校: 高島第一中学校・高島第二中学校・高島第三中学校・西台中学校(以上板橋区立)
- 高等学校:東京都立高島高等学校・大東文化大学第一高等学校(学校法人大東文化学園)
- 養護学校:高島養護学校・板橋養護学校(以上東京都立)
- 大学:大東文化大学板橋校舎
- 公園:東京都立赤塚公園・板橋区立徳丸ヶ原公園
- 図書館:板橋区立高島平図書館
- 役所:板橋区役所高島平出張所
- 警察署:高島平警察署
- 消防署:志村消防署高島平出張所
- 総合病院:高島平中央総合病院・板橋区医師会病院
- ごみ処理場:板橋清掃工場
- 植物園:板橋区立熱帯植物園
- スポーツ施設:板橋区立高島平温水プール
- 郵便局
- 中央卸売市場:東京都中央卸売市場板橋市場