馬廻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
馬廻(うままわり)は、戦国時代頃に生まれた武家の職制のひとつ。騎馬の武士で、大将の馬の周囲(廻り)に付き添って護衛にあたったり、伝令や決戦兵力として用いられた。平時にも大名の護衛となり、事務の取次ぎなど大名の側近として吏僚的な職務を果たすこともあった。
大名家によって様々な呼び名があり、後北条氏の馬廻衆が有名である。織田信長の馬廻衆は、小姓と並んで土豪の次男・三男などから編成され、信長の側近として活躍した。信長の馬廻・小姓の精鋭は赤・黒二色の母衣衆に抜擢され、そこから部隊の指揮官に昇進した例も多い。
江戸時代も諸藩に職制として存続し、大名の日常の警護を務めた。江戸幕府の職制では、両番と呼ばれる書院番・小姓組番が諸藩の馬廻にあたる。旗本の子弟はまず両番に任ぜられ、将軍の側近として認められて幕府官僚として出世してゆく例であった。
馬廻は、諸藩にあって職制のほか、家格の呼称としても使用されることが多かった。
藩によって、馬廻には、馬上資格を認める藩と、認めない藩があって、どちらが一般的であるかは、断言できない。
馬廻に馬上資格を認めない藩にあっては、給人または、給人席以上を馬上資格としたり、家老から直接、統率を受ける家格以上の侍(家臣)を馬上資格とするなどさまざまな基準があった。
職制上及び、家格上、給人と馬廻が併存する藩と、どちらかだけが存在する藩もある。家格に給人と馬廻が併存する藩にあっては、給人のほうが格上である。
馬上資格がない馬廻は、幕府の小十人とほぼ同義であって、藩主に謁見資格があるが、馬乗りにはなれない中堅家臣である。
また馬廻に馬上資格がある藩では、馬廻の家格は、広義の上級家臣の下位を意味すると言えよう。