項籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』
項 籍（こう せき、紀元前232年 - 紀元前202年、在位紀元前206年 - 紀元前202年）は、秦末期の楚の武将、「西楚の覇王」と号した。姓は項、名は籍、字が羽である。叔父の項梁が死んだ後、秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼした。その後、天下を劉邦と争い（楚漢戦争）当初は圧倒的に優勢であったが、劉邦の策略にかかり垓下に追い詰められて敗死した。以下、一般に知られている項羽（こう う）の名で記す。
目次 |
[編集] 挙兵まで
項羽は楚の将軍であった項燕の孫であり、項氏は代々楚の将軍を務めた家柄であった。項羽には両親が無く叔父の項梁に養われていた。
史記にその聡明さを示す逸話がある。
ある時項梁が項羽に学問を教えようとすると項羽は
「文字なぞ自分の名前が書ければ十分です。剣術のように一人を相手にするものはつまりません。私は万人を相手にする物がやりたい。（書足以記名姓而已．劍一人敵，不足學，學萬人敵．）」
と答えたので項梁は喜んで兵法を項羽に教えた。項羽はほぼその意を知り、また兵法を学ぶのに境を付けることには首を縦に振らなかったという。（略知其意，又不肯竟學．）『史記』
[編集] 反秦軍
秦末期、陳勝・呉広の乱が起きると項羽は項梁に従い造反軍に参加した。陳勝が敗死すると項梁は旧王家の末裔を探し出してこれを祭り上げ「楚王」とし大いに威勢を奮ったが、秦の章邯の奇襲によって戦死する。
その後は項羽が実質的な楚軍の首領となり咸陽へ向けて北進を開始した。途中、秦軍に居城信都を包囲されていた趙の張耳、陳余の救援要請を受け、趙へと向かう。そして秦正規軍の章邯将軍が率いる20万超の大軍と鉅鹿で戦う。当時、秦軍が兵力的に圧倒的しており、しかも率いるのは数々の反秦軍を沈めた名将、章邯である。信都の落城は時間の問題ながら、趙救援に駆けつけた各国の軍も手を出せなかった。しかし項羽は、まず秦軍の食料運搬部隊を襲い、糧道を絶ち秦軍を飢えさせ、次いで兵士に三日分の兵糧のみを渡し川を渡ってきた船を沈め、決死の兵へ変えた。三日で決着せねば全滅あるのみとしたのである。そして包囲軍大将の王離の軍に項羽自ら先頭にたって突撃をかけ、数では5倍強であった敵を潰走させ、王離を捕縛する。更に勢いのまま秦軍を攻め、総大将の章邯も項羽に降伏を申し出、項羽はこれを受ける。この戦いで項羽率いる楚軍の恐ろしさを目の当たりにした各国反乱軍は、項羽を恐れ自ら進んで項羽の傘下に入った。こうして項羽は名実ともに反乱軍の総大将となった。
この時20万以上の捕虜を得たが、捕虜の中に暴動の気配が見えたので新安という所でこれを全て坑（穴に埋めて殺す事）してしまった。この行為がのちに劉邦の項羽討伐への大義名分になった。
項羽は関中に入ろうとしたが、その時すでに劉邦が関中に入っていた。功績を横取りされたと項羽は大いに怒り劉邦を攻め殺そうとした。劉邦は慌てて項羽の伯父項伯を通じて項羽に和睦を願い、項羽と劉邦は酒宴を開いて和睦の話し合いを持った。これが有名な鴻門の会である。
[編集] 西楚の覇王
項羽は劉邦を許した後、劉邦が生かしておいた秦の最後の王である子嬰一族を殺し、咸陽を焼き払って財宝を略奪した。その後、軍師の范増は地の利の良い咸陽を都とするように進言したが、故郷に錦を飾るために地の利を捨てて楚の彭城（現在の徐州）を都とした。
楚へ帰り自ら西楚の覇王と名乗り、諸侯を対象に大規模な封建を行うが、その基準となったものは、その時の功績ではなく、あくまでも項羽との関係が良好か否かであった。故に、ろくに手柄を立てなかったものが優遇されたり、逆に、咸陽に一番乗りして秦を滅亡させた劉邦が冷遇されて漢中に左遷される等かなり不公平なものとなり、諸侯に大きな不満を抱かせるものとなった。
また、項梁が擁立していた楚の懐王を「義帝」と呼んで格上げしたが、遷都ということで遠隔地へ連行し、その途中で暗殺させた。
[編集] 楚漢戦争
紀元前206年、斉の王族・田栄が項羽に対して挙兵すると、これをきっかけに封建に不満を抱く諸侯が続々と反乱を起こした。義帝の殺害を知った「漢王」劉邦は、大義名分を得て蜂起し、諸侯へも項羽への反乱を呼びかける。これ以降の楚と漢の戦争を「楚漢戦争」と呼ぶ。
項羽は討伐軍を率いて各地に転戦する。項羽は戦闘には圧倒的に強く項羽が行けばすぐに反乱は収まるものの項羽が別の地域に行けばすぐに反乱がまた起こるというまさしくいたちごっこであった。劉邦に対してもこれは変らず戦場にあっては項羽は百戦百勝であったが、項羽が追及の手を緩めるとすぐに関中の蕭何の補給で蘇り項羽に対して抵抗を続けた。また反乱軍も、項羽に降伏を許されず反乱を起こした国の兵士は全員生き埋めにして殺し、住民も問答無用に殺すため必死になって抵抗することとなり戦闘は泥沼化していった。項羽は、戦術には非常に優れていたが、戦略・政略の能力が乏しかったからだと考えられる。
三秦（関中）を平定した劉邦は50万を超える大軍を率いて楚の彭城を占領するが、急いで戻ってきた項羽はこの大軍に大勝する（彭城の戦い）。劉邦は家族をも見捨てて敗走し、父や妻の呂后が項羽の捕虜となる。その後、項羽は榮陽一帯に劉邦を追い込むも（榮陽の戦い）、劉邦配下の韓信による魏・趙・燕・斉諸国遠征や項羽に反感を抱くゲリラ指導者彭越や離反した英布等の諸侯による後方撹乱行動に悩まされる。その間隙を狙うように行われた陳平による内部分裂工作により知恵袋であり亜父（父に亜ぐ）とまで呼んでいた范増やこれまで共に闘ってきた鐘離昧・龍且等の将軍を疑うようになる。その後、范増が病死。龍且も斉救援に20万の軍勢を差し向けるものの、韓信の水計により壊滅し劉邦・韓信の力が強くなっていった。
[編集] 滅亡へ
紀元前203年、項羽は劉太公を返還することで劉邦と一旦和睦し故郷へ帰ろうとしていた。しかしこの時漢軍が和平の約束を破り項羽の後背を襲った。長い戦闘で疲弊の極みにあった楚軍は敗走し、漢を中心とした諸侯の60万とも100万とも言われる連合軍に項羽は垓下に追い詰められた（垓下の戦い）。この時に城の四方から項羽の故郷である楚の国の歌が聞こえてきた。これを聞いた項羽は「ああ、祖国の楚の兵士達も既に漢に降伏したのか。」と嘆いた。ここから四面楚歌の言葉が生まれた。
その夜に起きた項羽が愛人虞美人に送った詩が以下である。
「力は山を抜き、気は世を覆うほどだというのに、天の時は我に味方しなかった。愛馬の騅も進もうとしない。騅が進まないのをどうすればいいのか。虞よ、虞よ、おまえをどうすればいいのだろう」（力拔山兮氣蓋世，時不利兮騅不逝．騅不逝兮可柰何，虞兮虞兮柰若何！）
項羽は手勢八百騎を率いて鬼神の強さを示し漢軍の包囲を突破し烏江（うこう）と言うところまでやってきた。ここの渡し守に
「江東は小さな所ですが数千の里がりと多くの人が住んでいます、彼の地ではまた王になるには十分でしょう。願わくは大王、早く渡ってください。今は私一人が船を出し、漢の軍は至っても渡ることは出来ないでしょう。」
と言われたが、項羽は
「天が我を滅ぼすのに何故渡ろうか？私が江東の子弟八千人を率いてここから西へ出発し、今一人も帰る者が居ない、たとえ江東の父兄が哀れんで私を王にしようとも、私に何の面目があろう？たとえ彼らがそれを言わなくとも、どうして私一人が心に恥を感じずにいられようか」（天之亡我，我何渡為！且籍與江東子弟八千人渡江而西，今無一人還，縱江東父兄憐而王我，我何面目見之？縱彼不言，籍獨不愧於心乎？）
と断った。項羽は、追っ手の中に旧知の呂馬童がいるのを見つけると、
「お前は私の古なじみではなかったか？漢は私の頭に金を千と邑を万を懸けていると聞く、おまえにその恩賞をやろう」
と、言って自らの首を刎ね、その生涯を閉じた。劉邦は項羽を殺した者に対して巨額の報奨金をかけていたので、項羽が死んだ時その死体に向かって兵士が群がり、死体を取り合い、殺し合う者が数十人にもなった。死体は五つに分かれたと言う。劉邦はその五つの持ち主（騎楊喜、騎司馬、呂馬童、呂勝、楊武）に対してそれぞれ報奨を分割して渡した。また劉邦は無惨な死体となった項羽を哀れみ、魯公の礼を以て穀城に葬った。尚、項羽の死後、項伯（射陽侯）をはじめとして項一族はいずれも劉邦によって列侯に封じられ、劉姓を賜っている。
[編集] 評価
項羽は劉邦と対照的な性格と見られ、それを示すエピソードとして項羽と劉邦がそれぞれ始皇帝の行幸に会った時の発言が良く取り上げられる。項羽は始皇帝の行列を見て
「あいつに取って代わってやる。」（彼可取而代也．）
と言い、劉邦は
「ああ、立派な男とは此の様な者であるべきだ!」（嗟乎，大丈夫當如此也!）」
といったと伝えられる。
このように項羽と劉邦は色々な点で対照的な面を見せたが、一面で劉邦が項羽に対して対照的であろうとしたと言う観もある。項羽は自らも言うように戦場にあっては連戦連勝で文句の付け所が無かったが、戦闘以外の場所では捕虜を虐殺したりするなど悪政が目立った。新安の虐殺は項羽にとっては決して特別なものではなく、それ以外でも城を落とすたびにそこの住民を坑した事が幾度もあった。
事跡を見て想像される項羽の性格はかなり子供っぽいものであったであろう。咸陽を落とした後、
「関中は山河に四方を囲まれ、土地は肥沃、此処に都を構えて覇を唱えましょう。」（關中阻山河四塞、地肥饒、可都以霸。）」
と進言された時に
「せっかく出世したのに故郷へ凱旋しないのは、夜中に刺繍の入った着物を着て道行くのと同じことぞ。誰がそれを知ろうか」（富貴不歸故鄉，如衣繡夜行，誰知之者!）」
と答えたと言われる逸話は項羽の性格を如実に顕している。喜怒哀楽が激しい性格で、部下に対して厚く慈しむ場合もあれば部下を激しく詰ることも多かった。特に部下と女子との扱いが極端に違っていたこともあり、韓信を雑兵のまま重用しなかったり陳平が漢に降ることになったり、その性格から数々の将軍・策士が項羽から離れる結果となった。また、ある時あまり敵兵が抵抗せずに城を落とせた為に兵士が弱いと怒り城兵を含む住民を皆殺しにしようと号令を発した後に、子供に説得され住民の皆殺しを取りやめる命令を出したことがあった。
韓信に評価された匹夫の勇、婦人の仁という項羽の人格は天下を治める皇帝としてははなはだ不適格というべきものであった。そういった自分の欠点に最後まで気づかないまま自ら命を絶った項羽を司馬遷は史記の中で「東城で死ぬときになっても、まだ自分を責めることしていない。あやまりであろう。そして『天が私を滅ぼす、用兵の罪ではない』という。どうして間違えていないといえよう。（身死東城，尚不覺寤而不自責，過矣．乃引「天亡我，非用兵之罪也」，豈不謬哉！）」と強く批判した。
その史記の中で項羽は皇帝になっていないにも拘らず本紀（第7巻・項羽本紀）を立てられている。これは短い時間であったが天下の主であったという司馬遷の考えからであろう。なお、この項羽本紀は史記の中でも特に名文の誉れが高く、日本の『平家物語』に於ける木曽義仲の最期を描いた場面は、項羽本紀に於ける項羽の死の描写に影響を受けているといわれる。
