ノート:項籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
垓下の戦いの劉邦側の兵士数は、ひょっとして韓信の項目からのパクリですか?故意なのか、偶然なのか、「60万とも100万とも言われる」と書かれていますけど…。時期的には、韓信の項目の方が早くに書かれているのですが…。
初版を書いた者ですが、書かれてあるページを参考にした事はありません。そちらのページがWIKIから文章を持って行ったと思われます。ちなみに「60万とも100万とも言われる」というのは韓信から持ってきました。らりた 14:28 2004年3月15日 (UTC)
- 申し訳ありません。私も執筆者がらりたさんであることに気付いて、相手サイトの方が更新が後ではないかと更新履歴などを探していました。結局更新履歴などは見つからなかったのですが、あちらのページは他にも転載が散見されますので客観的に見てもあちらがウィキペディアの文章を持っていったように見えます。私の早とちりでした。すみません。Tsk 14:48 2004年3月15日 (UTC)
-
- 202.254.199.33さん、ウィキペディア内ページ間でパクリ等の表現をされるのは穏やかではありませんね(^^;
- らりたさん、Tskさん、「書かれてあるページ」「相手サイト」とは、どこのことでしょうか? 参考までに教えていただけますと幸いです。
- - Gombe 10:42 2004年3月31日 (UTC)
[編集] 文章中の「」部分の訳が気になります。
『史記』の記述と離れている点が少々あり、史料に近いように訳しました。
[編集] 漢文はあった方が良いような気がするのですが・・・。
漢文は自分で訳したので、読み方が間違っている可能性があるので、 載せて欲しいのですが、もどしても構いませんか?
たとえば、載初の項羽の兵学についての所は読み手によって、二つの解釈ができますし、此処に都を構えましょうという所も、漢文と訳ではどうしてもギャップが生じます。
正確に伝える為には2カ国語でも仕方がないとおもうのですが、どうでしょう。