阿田和駅
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阿田和駅(あたわえき)は、三重県南牟婁郡御浜町阿田和にある東海旅客鉄道(JR東海)紀勢本線の駅である。かつては紀伊半島内陸部の鉱山から銅の鉱石がこの駅まで運ばれてきてそしてこの駅から鉄道でさらに新宮の港へ運び出していた。この駅はかつては物資の集散地として栄えていたのである。御浜町の中心集落たる阿田和にある同町の代表駅。
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[編集] 駅構造
- 島式ホーム1面2線と側線2本を持つ地上駅である。現在は2本のみとなっている側線はかつてはもっと多くあり今でも構内は大変に広くなっている。これはかつてこの駅まで紀伊半島内陸部の鉱山から銅の鉱石を運んできてそしてこの駅で鉄道に積み替えをしていたという名残である。駅舎とホームの連絡は平面横断によってなされており構内踏切には遮断機および警報機もついている。
- 開業当初からの駅舎が残る。かつての繁栄を物語るとても立派な駅舎である。駅舎の中の待合室は周りの駅と比べても大変に広い。
- 無人駅であり駅員はいないが出札口および小荷物台がシャッターの閉まった状態で今に残っている。自動券売機や自動改札、乗車駅証明書発行機などの設置はない。
[編集] 駅周辺
御浜町の中心集落たる阿田和にこの駅はある。熊野市駅から新宮駅にかけての海岸沿いには大小多くの集落が連続して存在しているがこれはその中でも大きな部類に属するひとつであり、古来より熊野古道の浜街道から熊野本宮大社への尾呂志街道が分岐する場所としての繁栄を見せていた。駅前はきちんと整備され歩道橋が張り巡らされている。駅からまっすぐ歩くとすぐに七里御浜の海岸であり、国道も大変に近くなっている。駅前には道の駅パーク七里御浜があり、その中にはオークワなどもありまさしくこの駅の周辺は都会的である。ほかにも商店や御浜町の町民サービスセンターなどあり非常に賑々しい雰囲気である。なおこのあたりの紀勢本線に並行する国道では30分おきに熊野市駅と新宮駅を結ぶ路線バスが運行されているが、当駅の最寄のバス停は「阿田和駅前」であって当駅から徒歩1分ほどと大変に近くなっている。また駅前の国道を熊野市方面へしばらく進むと御浜町役場もある。
- 御浜町町民サービスセンター
- 道の駅パーク七里御浜
- 阿田和郵便局
- 御浜町役場
- リス公園
- 引作神社
- 御浜町立阿田和小学校
- 御浜町立阿田和中学校
- 紀宝警察署阿田和駐在所
- 三重県立紀南高等学校
- 七里御浜
[編集] 歴史
この駅は1940年8月、国鉄紀勢西線の新宮駅から紀伊木本駅(現在の熊野市駅)の開通により国鉄紀勢西線の阿田和駅(あたわえき)として開業した。その後当駅は1959年、今の紀勢本線が全通し亀山駅と和歌山駅(現在の紀和駅)の間が紀勢本線となったのを受け国鉄紀勢本線の駅となり、さらに国鉄の分割民営化を経て現在に至っている。なおこの駅は開業の数ヶ月前から紀伊半島内陸部にある紀州鉱山のひとつたる入鹿鉱山からの鉱石を積み出していた。鉱石は紀宝町板屋にあった入鹿鉱山からはるばるこの阿田和まで索道を使って運び出されそしてこの駅で鉄道にうつして新宮方面に運搬されていったのである。この駅は1978年(昭和53年)の鉱山の廃止までこのように鉱石の集散地として栄えていたのである。
- 1940年(昭和15年)8月8日 - 紀勢西線の新宮駅から紀伊木本駅(現在の熊野市駅)の開通に伴い国鉄紀勢西線の阿田和駅(あたわえき)として開業する。
- 1959年(昭和34年)7月15日 - 三木里駅・新鹿駅間の開通を持って現在の紀勢本線が全通し新たに亀山駅と和歌山駅(現在の紀和駅)の間が紀勢本線となり、当駅も国鉄紀勢本線の駅となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により当駅も東海旅客鉄道紀勢本線の駅となる。