関谷勝嗣
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生年月日 | 昭和13年(1938)3月6日 |
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出生地 | 愛媛県松山市三津浜 |
出身校 | 中央大学法学部政治学科卒業 |
学位・資格 | |
前職・院外役職(現在) | 日本航空社員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
法務委員会理事 憲法調査会々長 |
世襲の有無 | 2世 父・関谷勝利(元衆議院議員) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
愛媛県選挙区 |
当選回数 | 2回(衆議院8回) |
所属党派(現在) | 自由民主党(山崎派) |
党役職(現在) | 愛媛県支部連合会常任顧問 |
会館部屋番号 | 参・議員会館438号室 |
ウェブサイト | 関谷かつつぐ公式ホームページ |
関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、昭和13年(1938年)3月6日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の参議院議員(現在2期)。元衆議院議員(8期)。山崎派に所属。愛媛県松山市出身。現在、参議院法務委員会理事、(財)愛媛県遺族会会長。
愛媛県立松山北高等学校を経て、昭和35年(1960年)中央大学法学部政治学科を卒業し、日本航空に入社。1976年、父・関谷勝利の引退に伴い、その後を継ぎ衆議院議員に初当選。平成2年(1990年)に海部内閣で郵政大臣、平成11年(1999)小渕内閣で建設大臣・国土庁長官に就任する。塩崎恭久と変則コスタリカを組み、平成12年(2000年)の第42回衆議院議員総選挙に出馬せず(塩崎が関谷の後継として出馬)、塩崎の衆院転出に伴う参議院議員補欠選挙に出馬し、参議院に鞍替えした。平成13年(2001)に再選。
山崎派の会長代行として山崎拓の平成15年(2003)総選挙での落選以後の派内の結束に尽力した。郵政族として知られ郵政民営化には批判的であったが派閥の長である山崎拓の意向に従い賛成を明言。しかし平成17年(2005)7月7日の山崎派総会で「(法案が否決され)解散になれば自民党は負け、瓦解するかもしれない」と首相を批判した。その瞬間、山崎に「何をごたごた言ってるんだ。やめろ」と遮られた。関谷はこれに抗議し会長代行を辞任した。この一部始終はメディアにも大きく取り上げられた。
親族としては、岳父に元労相の加藤常太郎衆議院議員(故人)、義兄に元防衛庁長官の大野功統衆議院議員がいる。宮沢喜一元首相も縁戚にあたる。平成17年(2005)の衆議院選挙には四国比例区で長男の関谷水氏が自民党公認で立候補したが、次点となった。
[編集] 台湾との関係
父の関谷勝利の代からの親台湾派の議員であり、自身も日華議員懇談会副会長を務めた。2000年9月12日には、長年の日本と台湾との友好関係への貢献が評価され、外国人に贈られる最高の勲章「大綬景星勲章」が、東京の台北駐日経済文化代表処の羅福全駐日代表を通して授与された。
2006年1月13日には、台湾も加盟しているアジア太平洋国会議員連合会(APPU)の日本議員団々長として訪台。議員団一行とともに陳水扁総統を表敬訪問し、会談した。
[編集] 著作
- 「日本の「騎兵の父」秋山好古と「智謀湧くが如し」の名参謀 秋山眞之(日本海海戦百周年)」『月刊自由民主』(通号629)、2005年。
- 「この国を考える(41)自然体で誠心誠意、与えられた使命を果たす」『月刊自由民主』(通号603)、2003年。
- 「巻頭インタビュー 『良質賃貸住宅供給促進法(案)』は賃貸住宅の質の改善に向けて大きな前進-4年後の見直し条項等で弾力的な対応が可能に-前建設大臣衆議院議員関谷勝嗣 」『月刊政策』36(1)(通号362)2000年。
- 「アジア太平洋の鉄道協力の促進-ESCAP鉄道大臣会議に出席して-」『トランスポート』33(5)運輸振興協会、1983年。