長崎県立対馬高等学校
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対馬高等学校 | |
過去の名称 | 対馬中学校、対馬高等女学校、 対馬女子高等学校など |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎県 |
設立年月日 | 1905年(明治39年)5月29日 (上下県郡総町村立対馬中学校開校) |
校訓 | 至誠剛健 |
創立記念日 | 1948年12月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型連携型ともになし |
分校 | なし |
課程 | 全日制の課程 |
学科 | 普通科 商業科 |
学科内専門コース | 普通科「国際文化交流コース」、 「理系コース」、「文系コース」、 「文理コース」、「総合コース」 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒817-0016 |
長崎県対馬市厳原町東里120 | |
電話番号 | 0920-52-1114 |
FAX番号 | 0920-52-0638 |
外部リンク | 長崎県立対馬高等学校 |
対馬高等学校(つしまこうとうがっこう)は、長崎県対馬市厳原町東里(いづはらまちひがしざと)に位置する長崎県立高等学校である。通称は、対高(たいこう)である。全日制の課程に、普通科、商業科を設置している。
対馬最大の高等学校であり、長崎県内で番目に歴史の長い高等学校として知られる。2005年に創立100周年を迎えた。校訓は、至誠剛健(しせいごうけん)である。校章は旧対馬藩主である宗氏の家紋にちなみ五七桐。
目次 |
[編集] 校風
生徒の容儀に厳しく、頭髪・服装などに細かい規定が存在する。抜き打ち的に容儀検査が行われることも多い。原則全員部活動に入部しなければならず、よって部活動は盛んである。特に吹奏楽部は2005年現在8年連続で県のコンクールで金賞を受賞するなどの成績をおさめている。
[編集] 沿革
[編集] 経緯
対馬高等学校は、1905年(明治38年)に上下県郡総町村立対馬中学校として長崎県下県郡厳原町今屋敷(いまやしき)に設立された。その後、1908年(明治41年)には長崎県立対馬中学校と改称された。
同年、私立対馬女学校が同町日吉(ひよし)に設立され、翌1909年(明治42年)に廃校、上下県郡総町村組合立対馬女学校が設立された。しかし、1911年(明治44年)年に上下県郡総町村組合立対馬女学校は廃校、上下県郡総町村組合立実科高等女学校が設立された。その後、1921年(大正10年)に上下県郡総町村組合立実科高等女学校は組合立長崎県対馬高等女学校と改称、1923年(大正12年)には県に移管され長崎県立対馬高等女学校となった。
第二次世界大戦降伏後の学制改革によって、1948年(明治23年)4月1日に対馬中学校は長崎県立対馬高等学校、対馬高等女学校は長崎県立対馬女子高等学校となり、同年12月1日に両校を統合して長崎県立対馬高等学校とした。2000年代に入るころから韓国に近いという対馬の位置から韓国との交流を重視し、修学旅行の行き先を韓国に変更、2003年(平成15年)には朝鮮語などの授業も行う「国際文化交流コース」が普通科に設置され、韓国人ALTも採用された。
[編集] 年表
- 高等女学校
- 1908年6月2日(明治41年) 私立対馬女学校として設立される。所在地は下県郡厳原町日吉(ひよし)
- 1909年6月17日(明治42年) 廃校、上下県郡総町村組合立対馬女学校設立。
- 1911年4月13日(明治44年) 廃校、上下県郡総町村組合立実科高等女学校設立。
- 1921年4月1日(大正10年) 組織変更許可にともない組合立長崎県対馬高等女学校と改称。
- 1922年7月8日(大正11年) 同町宮谷(みやだに)98番地(現在の寮所在地)に移転。
- 1923年4月1日(大正12年) 県への移管にともない長崎県立対馬高等女学校と改称。
- 1948年4月1日(昭和23年) 学制改革にともない長崎県立対馬女子高等学校となる。
- 統合後
- 1948年12月1日(昭和23年) 対馬高等学校と対馬女子高等学校を統合し、長崎県立対馬高等学校と改称。
- 1950年(昭和25年) 厳原分校(定時制)、定時制仁位分校開校。
- 1952年(昭和27年) 長崎県立長崎水産高等学校豊崎分校を移管され、定時制豊崎分校とする。
- 1953年4月1日(昭和28年) 全日制、定時制に家政科各1学級を新設。
- 1955年4月1日(昭和30年) 全日制に商業科1学級を新設。
- 1955年11月7日(昭和30年) 創立50周年記念式挙行。
- 1958年11月6日(昭和33年) 校舎増改築落成式挙行。
- 1964年(昭和39年) 長崎県立上対馬高等学校を設立し、豊崎分校を移管。
- 1965年6月(昭和40年) 創立60周年記念式挙行。
- 1973年(昭和48年) 仁位分校を長崎県立豊玉高等学校に移管。
- 1975年11月1日(昭和50年) 創立70周年記念式挙行。
- 1978年9月1日(昭和53年) 新校舎に移転(現在地)。
- 1979年9月8日(昭和54年) 新校舎落成式挙行。
- 1980年(昭和55年) 格技場竣工。
- 1981年(昭和56年) 弓道場竣工。
- 1985年11月1日(昭和60年) 創立80周年記念式挙行。
- 1986年4月9日(昭和61年) セミナーハウス「日新館」落成式挙行。
- 1987年(昭和62年) クラブハウス竣工。
- 1991年4月1日(平成3年) 家政科募集停止。
- 1993年2月19日(平成5年) 家政科閉科。
- 1993年4月1日(平成5年) 定時制募集停止。
- 1994年3月24日(平成6年) 第2体育館竣工。
- 1995年3月27日(平成7年) 寄宿舎食堂棟改築。
- 1995年11月1日(平成7年) 創立90周年記念式挙行。
- 1996年8月31日(平成8年) 定時制課程閉課。
- 1998年3月4日(平成10年) 男子寄宿舎竣工。
- 2001年3月10日(平成13年) グラウンド・テニスコート改修工事竣工。
- 2003年2月21日(平成15年) 第1体育館改修終了(100周年記念事業)。
- 2003年4月1日(平成15年) 普通科に国際文化交流コース新設。
- 2005年11月5日(平成17年) 創立100周年記念式挙行。
[編集] 教育組織
次の教育組織がある。
- 全日制の課程
- 普通科
- 理系コース
- 文系コース
- 文理コース
- 総合コース
- 国際文化交流コース
- 商業科
- 普通科
[編集] 教育方針
[編集] 校訓
至誠剛健
[編集] 教育方針
- 真理を求め、学力の向上に精進すること
- 進取の気性を養い、正しい判断力を育むこと
- 礼節を重んじ、誠実で品位のある生徒を育成すること
- 豊かな情操を育み、奉仕することを培うこと
- 国際環境に適応し、協調して生きていく態度を育てること
- 同和教育を推進し、人権尊重に努めること
[編集] 学校行事
- 学習合宿
- 体育祭
- 毎年9月に実施。応援合戦が有名。かつては白(獅子)、赤(鷲)、青(虎)、黄(龍)の4班で争っていたが、2002年より生徒数の減少を理由に3班となることが決まり、生徒アンケートで人気の低かった白組が廃止となった。
- 修学旅行
- 2年生が参加。行き先は韓国。
- 文化祭「桐鳳祭」
[編集] 生徒会活動・部活動など
[編集] 通学手段など
生徒の主な通学手段
- 徒歩
- 寮生や近隣に住む学生は徒歩通学をする者が多い。
- 自転車
- 学校が丘の上にあり坂道が急なため、麓の駐輪場に置いて徒歩で坂道を登る。
- バイク
- バス(対馬交通)
-
- 高校前停留所より徒歩すぐ
- 阿須停留所より徒歩15分
- 自家用車
- バスが不便なため保護者などに送迎をしてもらっている学生が多い。しかし、学校の敷地内まで乗り入れたり、学校入口の交差点内でUターンをするなどマナーの悪い者もいて問題になっている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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