長山藍子
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長山 藍子 (ながやま あいこ、1941年6月21日 - ) は中国内蒙古自治区フフホト生まれの日本の女優である。身長159cm 体重50kg
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[編集] 来歴・人物
父は同盟通信記者であった。
成蹊小学校・中学校を経て、静岡県立三島北高等学校卒業。
演劇が好きだった父親の影響で俳優を目指し、俳優座養成所に12期生として入所、1963年に養成所を卒業すると同時に劇団新人会に参加した。1970年前田昌明、山本学らと共に第二次劇団新人会を発足した(1994年に現行の劇団朋友と改名)。
初舞台は1963年の『オッペケペ』。以降舞台で活躍する傍ら、映画では『橋のない川』、『ガラスのうさぎ』、『男はつらいよ-望郷編-』、『春だドリフだ全員集合!!』、テレビではNHKの『旅路』、『おんな太閤記』、『春日局』等、多数出演した。特に、長期間放送されている『渡る世間は鬼ばかり』シリーズで演じた野田弥生役は広く知られている。映画化される前のテレビドラマ「男はつらいよ」では、寅次郎の妹・さくらを演じていた(映画では倍賞千恵子が起用され、倍賞の当たり役となった)。
[編集] クイズダービー関連
1979年10月から1981年9月までの約2年間、降板した南田洋子を引き継いで、「クイズダービー」の5代目2枠レギュラー解答者として活躍した。山崎浩子と並ぶ歴代4位の20連敗を記録したが、正答率は2割9分9厘(平均2勝6敗~3勝5敗)とまずまずの成績を残している。特に不正解の解答が右隣の1枠レギュラー、当時学習院大学の教授だった篠沢秀夫と全く同じになるケースがよくあった。2枠レギュラー降板後は5枠のゲスト解答者として、又出場者側にも度々出場している。又2枠レギュラー席は、ベテラン女優・タレントの配属は長山が最後となり、その後バトンタッチとなった宮崎美子の頃から、若手女優・タレントの配属となった。
[編集] 主な出演作品
[編集] 映画
- 泣かせるぜ(1965年)
- 女と味噌汁(1968年)
- 橋のない川(1969年)
- 橋のない川 第二部(1970年)
- 男はつらいよ 望郷篇(1970年)
- 春だドリフだ全員集合!!(1971年)
- 雨のめぐり逢い(1977年)
- 東京大空襲 ガラスのうさぎ(1979年)
- 結婚案内ミステリー(1985年)
- ガラスの中の少女(1988年)
- 日本沈没(2006年)
[編集] テレビドラマ
- 愛と死をみつめて(1964年、TBS)
- 女と味噌汁1~38(1965年-1980年、TBS)
- おはなはん(1966年-1967年、NHK)
- 旅路(1967年-1968年、NHK)
- 肝っ玉かあさん1~3(1968年-1971年、TBS)
- 男はつらいよ(1968年-1969年、フジテレビ)
- ダンプかあちゃん1~4(1969年-1971年、TBS)
- ありがとう1~3(1970年-1974年、TBS)
- 赤い迷路(1974年、TBS)
- 夜明けの刑事(1974年-1977年、TBS)
- たんぽぽ2~5(1975年-1976年、TBS)
- おんな太閤記(1981年、NHK、とも役)
- 赤い絆(1984年、TBS)
- 春日局(1989年、NHK、お江与役)
- 渡る世間は鬼ばかり1~8(1990年-、TBS、岡倉大吉の長女・野田弥生役)
- 『警部補 佃次郎4「仮説の行方」』(火曜サスペンス劇場)(1997年12月16日OA 日本テレビ)(亀井 典子 役)
- ニコニコ日記(2003年、NHK)
- 僕と彼女と彼女の生きる道(2004年、フジテレビ)
- 僕の歩く道(2006年、フジテレビ)
[編集] 舞台
- オッペケペ
- 作者を探す六人の登場人物
- 秋のかげろう
- 春日局
- 女たちの忠臣蔵
- わがババわがまま奮斗記
- 明日の幸福