金正淑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金正淑 | |
---|---|
{{{caption}}} | |
各種表記 | |
チョソングル: | 김정숙 |
漢字: | 金正淑 / 金貞淑 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
{{{hiragana}}} |
片仮名: (現地語読み仮名): |
キム・ジョンスク |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語表記: | Kim Jong-suk |
金正淑(キム・ジョンスク、1917年12月24日 - 1949年9月22日)は、金日成の妻、金正日の母。元の名前は金貞淑(読み方は同じ)、後に金正淑と改名。
16歳でパルチザン部隊に入り、そこで金日成と知り合い、結婚。1942年2月16日にソ連で金正日を出産した他、5人の子供を儲けた。朝鮮帰国後に、北朝鮮に設けられた「朝鮮民主女性同盟」の初代委員長として活動した経歴がある。称号は朝鮮民主主義人民共和国英雄。
[編集] 評価
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、金日成が「建国の父」と呼ばれているのと共に、「建国の母」として尊崇されている。また、「朝鮮革命において、朝鮮民族のために消すことのできない革命の業績を成した、金日成の親衛戦士」、「抗日の女性英雄」、「卓越した政治活動家」、「偉大な革命の母は永遠に朝鮮人民の心の中で生きる」、「朝鮮現代史上で誉ある三大偉人」、「三大将軍」、「三大英雄の一人」など、さまざまな呼ばれ方をされている。
なお、彼女は1972年9月21日に、北朝鮮政府から「共和国英雄」の称号を送られている。
[編集] 履歴
- 1917年12月24日:朝鮮の咸鏡北道会寧郡会寧面鰲山洞(現在の北朝鮮咸鏡北道会寧市東明洞)において、貧農の娘として小さい藁葺き家の中で生れる。
- 1922年春:家族と共に豆満江を渡り、満州(中華民国)と旧ソ連の間で放浪する。
- 1931年9月12日:少年先鋒隊に加入。
- 1932年7月25日:朝鮮共産主義青年同盟(パルチザン部隊)に加入(数え年で16歳)。
- 同年11月:八区共青同盟委員会の委員に当選。
- 1934年秋:延吉県(現延吉市)共青同盟委員会の職務へ異動。
- 1935年3月:三道湾遊撃区の能芝営(延吉市近郊)にて金日成と出会う。
- 1935年9月18日:朝鮮人民革命軍に参加。
- 1937年1月:中国共産党に加入。
- 1940年暮秋:金日成と結婚。
- 1942年2月16日:ハバロフスク郊外にあったソ連極東軍第88特別旅団の宿営地において、長男の金正日を出産。
- 1945年11月:朝鮮に帰還。
- 1948年:朝鮮民主主義人民共和国成立。
- 1949年9月22日:死去。享年32。北朝鮮の公式見解では心臓麻痺が死因とされているが、実際は子宮外妊娠と言われている。また、暗殺されたとも言われている。