野沢菜
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ノザワナ | ||||||||||||||||
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分類 | ||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||
Brassica rapa var. hakabura | ||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||
ノザワナ |
野沢菜(のざわな)は、アブラナ科の野菜。カブの一品種であり、野沢菜漬けに利用される。長野県下高井郡野沢温泉村を中心とした信越地方で栽培される。別名、シンシュウナ(信州菜)。茎と葉の丈は50~90cmにもなる。
この葉と茎を漬物にしたものが、野沢菜漬けである。漬物にするには、根を切り落としてから塩漬けにする。
野沢菜漬けは寒冷な環境で製造・保存されるため、醗酵はあまり進まず、臭いは少なめであっさりした味わいなのが特徴。常温で放置しておくと急激に軟化して歯ざわりが変化し酸味が増すため、保管には低温を維持する必要がある。
野沢菜漬けは、茶受けや酒の肴として非常に好まれる。またそのまま食べる以外にも、炒め物や炒飯に用いたり、細かく刻んで納豆に薬味として混ぜるなど、広範囲に応用される。
[編集] 伝説と真実
1756年、野沢温泉村の健命寺の住職が京都に遊学した際、大阪市天王寺で栽培されている天王寺蕪の種子を持ち帰った。この天王寺蕪の子孫が野沢菜だとされていたが、信州大学農学部教授・大井美知男の調査により、野沢菜は天王寺蕪の子孫ではないことが明らかにされた[1]。しかし、野沢菜が歴史ある野菜であることに変わりは無い。
[編集] 野沢菜と天王寺蕪に関する正しい知識
日本最古の和種蕪とされる天王寺蕪には、切葉と丸葉の特性の異なる2系統が存在する。この種子が100年ぶりに復活した。同蕪が約250年前に長野の野沢温泉村健命寺へと運ばれ同地で栽培されたことから野沢菜が生まれたとされる。上記のように諸説あるが、実際に蘇った天王寺蕪の種を長野に似た気候条件で栽培したところ、多数の野沢菜に酷似した蕪菜が認められた。元来、天王寺蕪の種子そのものが雑ぱくであったことも関係していると思われる。同蕪が野沢菜となったのではないが、天王寺蕪の種が野沢菜を生む要因を有し、そこに長野の気候と食習慣が重なることで、長い栽培歴の中で野沢菜が誕生したと考えるべきであろう。