醍醐家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
醍醐家(だいごけ)は、清華家の家格を有する公家。五摂家の一つ一条家の支流。
江戸時代前期一条昭良の二男・冬基を祖に創立された。家禄は、312石。家紋は下がり藤。
明治維新時の当主、醍醐忠順は維新後、大阪府知事などを歴任し、侯爵に列する。忠順の女、好子は賀陽宮邦憲王妃。昭和期の当主、醍醐忠重は、海軍に入り海軍中将にまで進み、侍従武官、第5潜水艦隊司令官、第6艦隊司令長官などを歴任するが、戦後、戦犯に指定される。昭和22年(1947年)オランダ軍によって銃殺された。
[編集] 系譜
凡例 太線は実子、細線は養子。
冬基 ┣━━━┓ 冬熙 公全 ┃ 経胤 ├━━━┳━━━┓ 兼純 冬香 輝久 ┃ 輝弘 ┣━━━┓ 忠善 忠順 ┃ 忠敬 ┃ 忠重 ┣━━━┓ 忠宜 忠久
カテゴリ: 日本の歴史関連のスタブ項目 | 藤原氏 | 公家