一条家
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一条(いちじょう)家は、五摂家のひとつで公家である。藤原氏北家の九条流。鎌倉時代、九条道家の三男一条実経が祖。九条流の嫡流。序列は近衛家と同格で、九条家、二条家、鷹司家が、同格扱いであった。家紋は一条藤。一条昭良は後陽成天皇の息子で、天皇家から直接、養子を迎えられたのは、歴史上、近衛家と、一条家だけであった。このことからも、九条流の嫡流が、九条家ではなく、一条家であったことが、証明される。このような例は、勧修寺流にもあり、嫡流は勧修寺家ではなく、甘露寺家を名乗る。
室町時代の一条兼良は、政治以外に、学問や連歌の文化的活躍も残した。また、戦国時代には一条教房が所領であった土佐に下向し、分家が戦国大名化し土佐一条家となった。
江戸時代初期、関白一条昭良の次男冬基が醍醐家(清華家の家格)を創立した。幕末期の当主・一条忠香の三女・美子が明治天皇の皇后となった(昭憲皇太后)。
[編集] 主な人物
- 一条実経(1223年-1284年)
- 一条経嗣(1358年-1418年)
- 一条兼良(1402年-1481年)
- 一条教房(1423年-1480年)
- 一条冬良(1465年-1514年)
- 一条房家(1475年-1539年)
- 一条昭良(1605年-1672年)
[編集] 系譜
凡例 太線は実子。細線は養子。(なお嫡流を書き連ねる事とする。)
実経 ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 家経 実家 師良 忠輔 家房 ┣━━━┓ 内実 冬実 ┃ 内経 ┃ 経通 │ 経嗣 ┣━━━┳━━━┓ 兼良 経輔 雲章一慶 ┣━━━┳━━━┓ 教房 冬良 尋尊 ┣━━━┓ 政房 房家 ┏━━━╋━━━┳━━━┓ 房冬 房通 房忠 晴持 ┃ ┣━━━┓ 房基 兼冬 内基 ┃ │ 兼定 昭良 ┃ ┏━━━┫ 内政 教輔 冬基 ┃ ┃ 政親 兼輝 │ 兼香 ┏━━━╋━━━┓ 道香 基輝 兼純 ┃ 輝良 ┃ 忠良 ┣━━━┳━━━┓ 実通 忠香 建通 ┃ 実良 │ 忠貞 │ 実輝 ┣―――┐ 実基 実孝 ┃ 実文
[編集] 関連項目
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