足袋
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足袋(たび)とは、日本固有の伝統的な衣類で、足に履く一種の下着である。木綿の布でできたものが一般的。日本の伝統的な履物である下駄・雪駄などを履く際に用いるため、親指と人差し指の部分で袋が二つに分かれている(叉割れ)。
丈夫な生地で作られた本体にゴム底を貼り付け、直接屋外で履く事ができるようにした地下足袋(ぢかたび)と呼ばれる足袋もある。
現在、日本で生産されている足袋の約80%が埼玉県行田市で製造されているが、17世紀の初期頃から藩財政を助けるための産業として足袋の生産が奨励されたことに起源をもつ。
[編集] 起源
文献上は11世紀ごろに「足袋」の記載が見られるが、現在の足袋と同様の物であるかは不明で、発音も「たび」と呼ばれていたのかは分からない。明確な起源は分かっていないが、平安時代の貴族が履いていた下沓(しとうず)と呼ばれる靴下か、当時の猟師が履いていたとされる皮製の靴下が源流であると考えられている。初期の足袋は足首部分に紐が縫い付けてあり、紐を結ぶことで脱げ落ちないように留めていた。
1657年に起きた振袖火事によって皮が品不足となり高騰したことから、木綿製のものが急速に普及していったと言われている。木綿製足袋の普及と同時に、紐止め式からボタン止め式へと足袋を留める方式も変化していった。現在の足袋は「こはぜ」(甲馳、牙籤、甲鉤、骨板)と呼ばれる金属製の金具(ホック)を「受け糸」(または掛け糸)と呼ばれる糸のループに引っ掛けて留めるようになっているが、この方式は江戸後期から明治前期にかけて普及したものである。
[編集] 足袋の種類
- 皮足袋
- 足袋は本来皮革をなめして作られたものであり、江戸時代初期までは布製のものは存在しなかった。皮足袋は耐久性にすぐれ、つま先を防護し、なおかつ柔軟で動きやすいために、合戦や鷹狩などの際に武士を中心として用いられたが、戦乱が収まるにつれて次第に平時の服装としても一般的に着用されるようになった。布製の足袋が登場するにいたって皮足袋は姿を消し、現在ではごく特殊な場合を除いて見かけることはないが、狂言の舞台で用いる黄色い足袋(狂言足袋)は皮製の足袋の外見を真似て考案されたものである。
- 白足袋
- 白足袋は主として改まった服装の際や慶弔等の行事ごとの際に用いられる。殊に儀式用・正装用というわけではないが、黒足袋・色足袋が平服にしか合わせられないのに対し、白足袋は平服から礼服まで広汎に着用することができる点に特色がある。特に茶人や僧侶、能楽師、歌舞伎役者、芸人などはほとんどの場合白足袋をはいており、こうした人々を総称して「白足袋」と称するならいがある。
- 能舞台、所作板、弓道場などは白足袋着用でなければあがれないことが多く、土俵上でも白足袋以外の着用は認められない。これらの例からもわかるように、白足袋は清浄を示す象徴であり、ほかの足袋とは性格の異ったものとして扱われている。
- 黒足袋
- 男性が平服の際にのみ用いる。一説には白足袋のように汚れが目立たず経済であるところから考案されたとも言い、江戸時代には勤番武士が多く黒繻子の足袋を履いていたことから、こうしたことを理由として黒足袋を嫌う人も多い。なお弔事に黒足袋を用いるとするのは俗説、もしくは明治時代以降のきわめて特殊な慣習であって、本来慶弔にかかわらず正装の際には白足袋しか用いることはできない。
- 色足袋・柄足袋
- 白黒以外の色や柄ものの足袋。女性が通常使用するもの。男性の場合、昔はごく一部の伊達者のみが使用していたが、現代では女性同様に着物の柄に合わせて選ぶことも珍しくない。