豊山広光
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豊山 広光(ゆたかやま ひろみつ、1947年10月22日 - )は、新潟県新発田市出身の元大相撲力士。本名は長濱廣光。得意の型は突っ張り、右四つ、吊り、寄り。最高位は東小結。
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[編集] 来歴
幼い頃から相撲を始め、新発田農業高校では全国大会で優勝する活躍を見せた。高校卒業と同時に東京農業大学に進学。家計が苦しく大学の警備のアルバイトをして学費を稼ぎながら相撲部で活躍した。その実績が認められて1970年3月場所に時津風部屋から幕下付出で初土俵を踏んだ。同年9月場所に十両に昇進。1971年11月場所には新入幕を果たした。突き押しから右四つに組んで吊り寄りを見せる正攻法の相撲で、長く幕内で活躍した。学生時代からのライバルであった横綱・輪島には特に激しい闘志を燃やし、金星4個を獲得するなど善戦したが、一方で横綱・北の湖にはまるで歯が立たず、幕内での対戦成績は21戦全敗を記録してしまった。1981年5月場所限りで現役を引退。年寄・湊を襲名した。翌1982年に時津風部屋から独立して湊部屋を開き、幕内・湊富士らを育てた。また、引退直後から2004年まで実に20年以上もの間、勝負審判を務めた。
[編集] エピソード
- 学生時代から日大の輪島と東京農大の長濱の対戦は話題となっており、お互いがプロに入ってからの取組は大いに注目された。そして、長濱が十両に昇進した場所の二人の取組で、十両の取組では異例といえる懸賞金が付いたほどであった。
- 初土俵は輪島より一場所遅れている。これは、在学していた東京農業大学が卒業論文を提出してからではないと入門を許可していなかったからである。
[編集] 主な成績
[編集] 三賞
- 殊勲賞 1回 (1978年3月場所)
- 敢闘賞 2回 (1974年5月場所、1977年9月場所)
[編集] 改名歴
- 長浜 広光(ながはま ひろみつ)1970年3月場所~1972年5月場所
- 豊山 広光(ゆたかやま-)1972年7月場所~1981年5月場所
[編集] 年寄変遷
- 湊 広光(みなと)1981年5月~
[編集] 関連項目
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