許田重発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
許田 重発(きょだ じゅうはつ、1887年 - 1968年)は、那覇手中興の祖といわれる東恩納寛量の高弟の一人であり、東恩流の開祖。
[編集] 経歴
許田重発は、明治20年(1887年)、許田重興の四男として生まれた。幼名は小樽小(スターグヮー)といい、成人してからは小樽兄(スターチ)のあだ名で呼ばれた。許田の母は、「東の東恩納」こと、那覇手の東恩納寛裕の親戚筋の出身であった。
許田は、父の知人で「西の東恩納」こと那覇手の大家・東恩納寛量に、15歳の頃から唐手(現・空手)を師事した。また、東恩納寛裕にも師事したといわれる。許田は成人してからは、教師の道を歩み、泊尋常小学校などに勤務するかたわら、唐手の修行を続けた。後に、許田は沖縄県立第二中学校(現・那覇高等学校)の唐手部初代師範をつとめた。昭和9年(1934年)、大日本武徳会沖縄支部の唐手教師嘱託に任命された。
戦後、許田は大分県別府に転居し、昭和43年(1968年)死去した。享年81歳。許田の弟子には、伊良波長幸、村上勝美などがいる。
[編集] 参考文献
村上勝美『空手の心と技』新人物往来社 ISBN 4404017979