親父
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親父(おやじ)とは、一般的には、自分もしくは友人の父親を呼ぶ場合のくだけた呼称である。転じて自分の上長(ボス)や店などの主人のことを親しみを込めて呼ぶ呼称となり、さらには中年から壮年にかけての男性を親しんで、あるいは見下して呼ぶ語としても使われる。
[編集] 言葉としての親父
親父(親爺、親仁とも表記される)は、「親父(おやちち)」が転じたもので、本来は父親を指す言葉である。肉親の男親を指す呼称としては非常に粗野な表現とされ、通常は男性が用いる言葉とされるが、ある種の親近感と敬意からこのように表現する事もある。特に敬称の「さん」をつけた場合は、後者の意味となり、『実の父親のように敬愛している』事を指す表現とされる。伝統工芸などの技術職等でもよく見られ、住み込みで親方の家に宿泊している場合など、親方を「親父さん」、「おやっさん」などと呼ぶこともある。
その一方で、血縁関係や上司部下とは関係なく、中年から壮年の男性に対し敬称を省いて親父と呼べば蔑称となる場合がしばしばある(少なくとも、ほとんどの場合で敬意ある表現とはならない)。これを片仮名でオヤジと表記すれば、かなり悪い意味を含んでいることが多い。「オヤジ臭い」等は、その典型であろう。これらは、相手を老化して衰えた存在(またはそれに似たもの)として蔑むものである。「オヤジ」の表現は、若い男性に対して用いられることがある。これは、相手の男性が、見栄えがしない、流行に疎いなど若い女性が好感を抱かない人物である場合などに用いられる。
[編集] 親父の社会的地位遍歴
日本に於いて、かつては地震・雷・火事・親父という言葉が存在し、怖いものの象徴とされた。現在でも地震・雷・火事は恐ろしいものだが「親父」はもはや怖い存在ではなくなっている。1960年代以降において、普段家に居ない父親の家庭内に於ける地位が低下、特に多くの国民が中の上といった生活を望むようになり始めた1970年代以降には、それを購うに足る稼ぎを挙げられない父親は、ダメおやじ(同名漫画は古谷三敏作)の烙印を押され、貶められた。
1980年代よりはドメスティックバイオレンス(近親者からの暴力)の問題が知れ渡ると、次第に暴力で家庭内の権力を維持しようとする男性への批判が高まり、特に単なる暴力的性格によって配偶者や子供を殴る・蹴るといった行為で従わせようとする父親像は、人格破綻者扱いされるに到っている。
勿論、封建社会にあっても上下関係による主従はあれど、行動の正しさや威厳で一定の地位を築いていた「親父」もあれば、単なる暴力で君臨していた「親父」(「血と骨」における金俊平などが典型)もあった訳だが、今日に於いて後者は、家庭内で君臨することができたとしても、社会的には許容されえず、妻子に暴行を繰り返す男性は、警察の取り締まりの対象にもなっている。その一方で威厳や行動の正しさを示すことで地位を示すにせよ、兎角流動的な価値観の多い現代にあっては、公正で明確な「正しさ」が示し難い事も在って、単純には行かなくなっている背景も見られる。
1990年代には封建時代における父親の威厳は崩壊、母親と代わる所の無い「甲斐甲斐しく世話をして、子供に奉仕する」という立場となっている。これらは各々の家庭に於けるライフスタイルであるため、否定され得る所ではないが、古くより男親が担ってきた、社会規範(社会性の教育)としての存在を、この逆転家庭において維持出来うるかを危惧する向きもある。ただし1970年代以降、男親の社会規範教育能力は(家庭内不在を含めて)極めて低下していたため、「これ以上は悪く成らない」と見る向きもある。
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