蘆名盛氏
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蘆名盛氏(あしなもりうじ、1521年(大永元年) - 1580年7月28日(天正8年6月17日))は、戦国時代・陸奥国の武将。蘆名氏第16代当主。蘆名盛舜の子。
若い頃から智勇に優れ、伊達氏と婚姻を結んだり、近隣の田村氏をはじめ武田氏や上杉氏、後北条氏と同盟を結んで対外を固める一方、内政面では六度の徳政令を出したり、商人司制度を制定したりして、流通支配を固めるという大成功を収めた。戦争面においても、近隣の諸大名を次々と降し、蘆名氏を伊達氏と並ぶ奥州屈指の大大名にのし上げた。1578年には上杉氏の混乱に乗じて、越後に出兵している。
しかし、盛氏は跡継ぎに恵まれなかった。唯一できた息子・蘆名盛興は1575年に死去。やむなく盛氏は二階堂氏からの人質である蘆名盛隆を養子としたが、家中の混乱は収まらず、蘆名家の最盛期は1580年の盛氏の死去をもって終焉する。蘆名家はその後、衰退し、やがて盛氏の死から9年後、伊達政宗によって滅ぼされるのである。