藤原隆信
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藤原 隆信(ふじわら の たかのぶ、1142年(康治元年) - 1205年3月19日(元久2年2月27日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の貴族。父は長門守藤原為経。母は若狭守藤原親忠女。母の再婚相手である藤原俊成に育てられる(歌人・藤原定家は異父弟にあたる)。子に似絵画家の藤原信実がいる。
[編集] 主な活動
若い頃は歌人として名を上げ、二条天皇や後鳥羽天皇に仕える。 最も後世に語り継がれている功績としては画家としての活動である。 隆信は似絵(にせえ・肖像画)の名手で、神護寺所蔵の国宝・源頼朝像・平重盛像・藤原光能像などの肖像画は『神護寺略記』に隆信の作と伝えられ、強装束を着た源頼朝像は武門の棟梁たる彼の内面まで描写しているかに思われる。 政治的活動は上野介・越前守・若狭守を歴任。 1202年出家。浄土宗の開祖法然に帰依する。
物語『うきなみ』や歴史物語『弥世継』を書いたとされるが、いずれも現存しない。 隆信の私家集は、寿永元年(1182年)夏頃成立した寿永百首家集と元久元年(1204年)頃成立したものがある。 隆信が俊成の訓育を受けたことは、五条三位入道俊成と隆信の交わした元久本『隆信集』の旋頭歌の部に見える。
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