菅賢治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
菅 賢治(すが けんじ、1954年 - )は、長崎県佐世保市出身の日本テレビ放送網制作局所属のチーフプロデューサー。長崎県立佐世保北高等学校、日本大学芸術学部卒。愛称、菅ちゃん、ガースー。
同局で、主にバラエティ番組の演出を担当している。 日本テレビではもはや名物スタッフとなっている。
目次 |
[編集] 略歴
日大芸術学部卒業後、ミュージシャンを目指すが挫折。その後、知人に「テレビの仕事やらない?」と誘われ、日本テレビの子会社である日本テレビエンタープライズの契約ADとなり、その後経験を積んでディレクターに昇格。「酒井広のうわさのスタジオ」など主にワイドショーを担当し、1988年に中途採用で日本テレビに入社した。
ダウンタウンや明石家さんまを起用した番組を成功させた、日本テレビのバラエティ部門の功労者。細木数子や古舘伊知郎ら他では考え付かないキャスティングや奇抜な企画内容でバラエティ番組を作り上げる事でも知られる。
「ガキの使い」では時折、自ら出演者としても参加。彼を主役にした企画も数多く、ともすれば松本人志をして「2世タレント」とまで言わしめるほどの独特なキャラクターを発揮する事もある。特に菅自身が「西部警察」の大ファンであることから生まれた、渡哲也演じる大門圭介になりきったキャラクター「菅大門」、「コンニチハ~、トーキョー!!!」とハイテンションで絶叫するトーマス・マクレガーなど名物キャラクターも生み出している。その他「明日があるさ」にも出演した事がある。 なお、罰ゲームである「絶対に笑ってはいけない」シリーズでは、毎度毎度、看板や写真、新聞などの小道具に登場し、笑いを誘った。「ラーメンと動物は視聴率を取るんだなぁ」「ラーメンで 数字を取れなきゃ 犬を出せ」や「テレビマン 出来る奴ほど 色黒だ」など、名言(?)も生まれている。
愛称は前出の“菅ちゃん””ガースー”の他に毛ボール、焦げたテニスボール、黒毛和牛といった別称もある。
2005年6月、編成局制作センターCPに昇格。吉田真、安岡喜郎、梅原幹CPらから担当番組を引き継いだ。2006年1月16日、組織変更に伴い制作局付となり、現在に至る。
[編集] エピソード
- 大学生(素人)時代にピザ屋で、初対面の杉田かおるの母親と意気投合してピザを奢ってもらう。
- ポーチを持って行動する機会が多かったが、「恋のから騒ぎ」で出演者のある女性が「ポーチを持っている男性はダサく見える」と発言したのをきっかけに、以降、菅自身も含めたスタッフ全員がポーチを持たなくなった。
- 「ガキの使い」の人気企画である「山崎VSモリマン」を大晦日に生放送でやりたいと考え、上層部に企画書を提出した所、編成局長らに「お前はバカか!」とどやし付けられたという。後日、菅本人は「ガキの使い」で「必ず実現させます!」と発言し、ダウンタウンの喝采を浴びた。
[編集] 担当番組
[編集] 過去の担当番組
[編集] チーフプロデューサー
[編集] プロデューサー/演出
- 24時間テレビ 「愛は地球を救う」
- さんま・一機のイッチョカミでやんす
- 発明将軍ダウンタウン
- おしゃれカンケイ
- Cの嵐!
- 国民クイズ常識の時間
- 摩訶!ジョーシキの穴
- 笑いの巨人
- 驚き!謎マネー100連発・世間を騒がすアノ値段一挙公開スペシャル(監修)
- さんま&所の乱れ咲き!!花の芸能界オシャベリの殿堂
- たけし&さんまの世紀末特別番組・世界超偉人伝説!!
- 裏番組をブッ飛ばせ!(1994~1996年の大晦日特番)
- 電波少年的トキワ荘(エグゼクティブプロデューサー)
他
[編集] 著書
- 菅ちゃんの笑ったもん勝ち(1996年、ごま書房刊)
- 上下巻に分かれていて、上巻はお笑いタレント編、下巻は番組制作の舞台裏を、それぞれ紹介している。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 日本テレビ | テレビプロデューサー | 1954年生