菅原都々子
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菅原都々子(すがわら つづこ、1927年8月15日 - )は昭和・平成期の歌手。
[編集] 生い立ち
- 1927(昭和2)年8月15日 - 青森県十和田市に生まれる。父は浅草オペラ歌手の河合丸目郎(まるめろう)で、後に作曲家となる陸奥明。ただ、当時の陸奥は故郷に帰って新聞記者をしていた。
- 9歳の時にオーディションのために一人で上京させられて、その際に古賀政男に認められたことから、「古賀久子」の名をもらい養女となる。
- 1937(昭和12)年 - テイチクエンタテインメントで養父古賀が作曲した『お父さんの歌時計』でデビュー、同時に実父の陸奥も作曲家として上京。
- 1940年 - 養子縁組は解消。父・陸奥のもとにもどって「菅原都々子」として再デビュー、
- 1945年3月 - 父の母校である東洋音楽学校を卒業。
- 1946年10月 - 『片割れ月』
- 1948年10月 - 『踊りつかれて』
- 1950年2月 - 『憧れの住む町』
- 1951年1月3日 - 第1回NHK紅白歌合戦に出場。『憧れの住む町』で先攻・紅組のトップバッターを務めた。
- 1951年3月 - 『憧れは馬車に乗って』
- 1951年7月 - 『連絡船の唄』
- 1951年10月 - 『江の島悲歌(エレジー)』
- 1951年12月 - 『アリラン/トラジ』
- 日本に初めて韓国メロディーを紹介した曲となる。
- 1952年1月3日 - 『江の島悲歌』で第2回NHK紅白歌合戦出場。
- 1952年10月 - 『佐渡ヶ島悲歌(エレジー)』
- 1955年4月 - 『月がとっても青いから』
- これはエレジーものがあきられはじたため、父・陸奥がイメージチェンジを賭けて売り出した曲。現在の市場規模の30分の1の時代、100万枚(現在の3,000万枚に相当)を売り上げる大ヒットとなり、この曲で歌手としての地位を不動のものに。
- 1955年7月 - 『木浦の涙』
- 1961年6月 - 『北上夜曲』
- 1968年10月 - 『なみだ月』
- 1979年11月 - 『風の又三郎』
- 1988年 - 歌手生活50周年記念リサイタル開催。
- 1996年 - 歌手生活60周年記念リサイタル開催。
- 1996年9月 - 歌手生活60周年記念シングル『あなたが好き』
- 2006年 - 歌手生活70周年。記念シングル2曲リリース。
- 2006年8月 - 「第38回NHK思い出のメロディー」に生出演。大ヒット曲『月がとっても青いから』を歌い、往時と変わらない美声を披露した。
- 2006年9月 - 歌手生活70周年記念アルバム発売。
- 2006年12月10日 - ヤクルトホールで開催する記念コンサートで現役歌手としての活動を卒業。今後はボランティアとしての歌手活動に切り替える。
[編集] 主なヒット曲
- 憧れの住む町(1950年)
- アリラン(1950年)
- トラジ(1950年)
- 江の島悲歌(1951年)
- 連絡船の唄(1951年)
- 憧れは馬車に乗って(1951年)
- 佐渡ヶ島悲歌(1952年)
- 月がとっても青いから(1955年)
- 木浦の涙(1955年)