荻原碌山
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荻原碌山(おぎわら ろくざん、1879年(明治12年)12月1日 - 1910年(明治43年)4月22日)は、明治期の彫刻家。本名は守衛(もりえ)、「碌山」は号である。
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[編集] 年譜
- 1879年(明治12年)長野県安曇野市(旧南安曇郡東穂高村)に生まれる。
- 1894年 (明治27年)相馬愛蔵と知り合う。
- 1901年 (明治34年) アメリカに渡り絵画を学ぶ。
- 1903年 (明治36年) アメリカからフランスに渡る。
- 1904年 (明治37年) ロダンの「考える人」を見て彫刻を志す。アメリカに戻る。
- 1906年 (明治39年) アメリカから再度フランスに渡る。
- 1907年 (明治40年) フランスでロダンに面会。「女の胴」「坑夫」などの彫刻を制作。年末フランスを離れ、イタリア、ギリシャ、エジプトを経て1908年帰国。
- 1908年 (明治41年) 第二回文展で「文覚」が入選。
- 1909年 (明治42年) 第三回文展「北条虎吉像」「労働者」を出品。
- 1910年 (明治43年) 「女」を制作。4月22日急逝。第四回文展に「女」が出品され、文部省により買上げ。
[編集] 主な作品
[編集] 収蔵美術館
- など