苻洛
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苻洛(ふらく、生年不詳 - 385年 )は、五胡十六国時代の前秦の皇族で、初代皇帝の苻健の甥(長兄の子)に当たる。兄に苻莄眉・苻菁ら、弟に苻敞がいる。子に苻朗がいる。
兄の苻莄眉・苻菁らが従弟の苻生(厲王)を殺害して、自分達兄弟が帝位に就く計画を立てるも、部下の密告でかえって、厲王に誅殺されると、彼は弟の苻敞と共に従弟の苻法・苻堅と行動を共にした。 やがて、357年に苻法・苻堅兄弟が挙兵すると、彼は弟の苻敞と共に先鋒隊となり、宮殿に乗り込んで酒で酔い潰れていた厲王を発見し、これを惨殺してその首級を晒したと言う。
苻洛はその功績で、従弟の苻堅から幽州刺史・行唐公に封じられた。だが彼は長兄の苻莄眉と同様に陰湿で陰謀にけた人物であり、またこの功績から傲慢になり増長したために、苻堅から疎まれ始めたのである。後に苻堅の命で376年に、鮮卑拓跋部の代を遠征し、これを滅ぼして戦功を立てて、征北将軍に昇進した。だが、苻堅はこれ以上苻洛の勢力を増大しないように、秘かに彼を監視したのである。また、苻洛も苻堅の存在を快く思わなかった。383年、やがて陰謀家の苻洛はついに嫡子の苻朗と共に謀反を起こしたのであった。このことを予想した苻堅は直ちに自ら親征し、苻洛父子を撃破したのである。大敗した苻洛は苻朗と共に西海(青海省東部)に逃亡した。だが、385年に彼は苻堅の勅命を受けた、涼州刺史・広平公の梁熙によって、殺害されたのである。
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