苻朗
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苻朗(ふろう、生没年不詳 )は、五胡十六国時代の前秦の皇族で、第3代皇帝の苻堅の従子(おい)に当たる。字は元達。父は行唐公・幽州刺史の苻洛(苻堅の従兄)。
爵位は安楽県男。従父の苻堅から、鎮東将軍・青州刺史に任じられる。
383年、夏5月に従父・苻堅が淝水の戦いで東晋に大敗したので、父の苻洛と共に謀反を起こした。だが、このことを予想した苻堅は、自ら親征し苻洛・苻朗父子を撃破した。こうして苻洛・苻朗父子は西海(青海省東部)に逃亡した。385年、父の苻洛が苻堅が派遣した武将の梁熙に討ち取られると、苻朗は父を誅殺した従父の苻堅に対して、骨髄に達するほど深く怨み、一族と配下を率いてついに東晋に降伏したのである。この報を聞いた、苻堅は従子の苻朗の裏切りに怒濤を衝くほど大激怒したという。やがて、彼は東晋から員外散騎侍郎に任命される。だが、後年になって、政敵の王国宝によって、苻朗は殺害されたという。但し、苻朗の没年は不詳である。
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