若田部健一
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若田部 健一(わかたべ けんいち、1969年8月5日 - )は、野球解説者、元プロ野球選手。現役時代の愛称は若様。また、ファンからは西武キラーとも呼ばれていた。
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[編集] 来歴・人物
- 1990年 - 秋季東都リーグでベストナイン(投手)を獲得
- 1991年 - バルセロナオリンピック・IBAFインターコンチネンタルカップの両野球日本代表に選出
- 1991年 - ドラフト1位で駒大からダイエーに入団(背番号14)、この年10勝を上げる
- 2002年 - オールスター初出場。オフにFA宣言し、横浜に移籍。背番号は同い年で同じく日本シリーズ開幕投手経験者野村弘樹が付けていた21。
- 2004年 - 佐々木主浩が横浜復帰し背番号22番、従来22番の吉見祐治が背番号21番に変更するため、ダイエー時代の14番に変更。
- 2005年 - 10月に横浜から戦力外通告を受け、引退。
- 2006年 - J SPORTSおよび日刊スポーツの解説者。また、KBCテレビ「アサデス。九州・山口」月曜コーナー『主婦の鷹』にコメンテーターとして不定期出演。
[編集] 略歴
[編集] 通算成績
- 271試合 1315投球回 71勝75敗0S 150被本塁打 761奪三振 407与四死球 防御率4.15
[編集] エピソード
- 少年時代、横浜大洋ホエールズ友の会に入っていた。
- 大学時代、小久保裕紀(青学大)からホームランを打っている。
- ドラフトでダイエーから指名があり、入団が決定した瞬間、会見の席で用意されていたアイスティーを一気飲みした。
- ルーキーイヤーの1992年、平和台球場のラストゲームで、近鉄の野茂英雄と投げ合い、1-0の完封勝ち。
- さらに翌年、同じ近鉄戦でホークス史上の福岡ドームの公式戦初勝利投手にもなった。(その前日野茂が1-0の完封で同球場勝利投手第一号)
- チームメートの藤井将雄投手(故人)ととても仲がよかった。
- V2を目指していた2000年の8月24日、西武ドームでの首位・西武戦に1-0で完封勝ちし、西武の3タテを阻止。ヒーローインタビューでは、「みんなの気持ちを球に込めて僕が代表して投げました」とコメント。
- ダイエー時代は「西武キラー」としても活躍し、2002年には10勝のうち5勝を西武から挙げた。
- プロでは一度も「押し出し」が無かった。
- 1991年のドラフト指名選手は、イチロー、金本知憲、石井一久、中村紀洋、田口壮、斎藤隆、三浦大輔、桧山進次郎、高村祐、久慈照嘉ら、のちの大選手が指名された年だったが、一番人気は若田部で巨人、広島、西武と4球団の競合だった。大選手になったとは言えないが、それに負けることなく頑張ったと言えるだろう。
- 妻はかつて福岡でローカルタレントとして活動していた徳丸佳代。現在でも時たまテレビ出演することがある。
- 現在アサデス。で共演しているおすぎ曰く、「ホークスイケメン選手の元祖」。