習志野原の永久堡塁
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習志野原の永久堡塁(ならしのはらのえいきゅうほるい)は、千葉県船橋市習志野台に存在していた演習用の要塞構造物である。習志野名所のひとつ。
詳細な造成年月日は不明だが、日露戦争後、難攻不落といわれた旅順の堡塁を模して習志野原(陸軍習志野演習場)内に造られたと考えられている。日露戦争では、日本軍は強固なロシア軍の要塞に苦しめられ多くの死傷者を出した。当時の日本とっては欧州の最新の技術・手法が用いられてたロシアの要塞を分析し、その後の戦争に備え、実際に演習に活用することは戦略的に重要な意味を持っていたと考えられ、実際に何度か演習が行われたとの証言がある。
構造物は「旅順港」、工事で盛り上げられた小高い丘は「203高地」の名称で呼ばれ、地域の子供達の格好の遊び場となっていたが、1962年(昭和37年)、日本住宅公団によって始められた習志野台団地の造成工事に伴い埋められることになった。船橋市はこの構造物の保存の意思を示していたが、高度成長に伴う住居確保の必要性は大きく、公団の合意は得られなかった。現在この構造物は船橋市立習志野台第2保育園周辺の地下に眠っている。
[編集] 参考文献
- 船橋市郷土資料館, 『地域研究資料3 薬園台の歴史 正伯物語』, 平成15年3月31日
- 習友会, 開拓50周年記念誌「砂塵を越えて」, 平成7年
- 船橋市郷土資料館, 絵はがき写真に残された明治~大正~昭和-, 平成17年3月23日
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