石川総承
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石川 総承(いしかわ ふさつぐ、寛政8年12月11日(1797年1月8日) - 慶応元年5月26日(1865年6月19日))は、常陸下館藩の第7代藩主。第5代藩主・石川総般の子。官位は従五位下。播磨守。中務少輔。
寛政8年(1796年)12月11日生まれ。享和2年(1802年)に父が死去したときは幼少の上、義兄に石川総親がいたため、跡を継ぐことができなかった。文化5年(1808年)、義兄が若死にしたため、その養嗣子となって跡を継いだ。しかし幼少のため、はじめは重臣の三浦備前守が執政をとる。成人してからは徳川家重の50回法要を努め、さらに心学に傾倒して大島有隣に弟子入りするなどした。しかし病弱だったらしく、天保7年(1836年)12月5日、子の石川総貨に病を理由に家督を譲って隠居した。慶応元年(1865年)5月26日、70歳で死去。法号:清心院殿日章総承大居士。墓所:東京都北区田端の大久寺。