石垣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石垣(いしがき、stone fence、stone wall)は、石を組み上げて作られた壁、もしくは柵のこと。土地の境界線を定めたり、国境や砦の守りのため、あるいは城砦、城の建物自体の基礎として石垣が用いられることも多かった。ひいては、城下の一般の民家もその壁を石を積み上げて、その上に漆喰などを塗って作ることも欧米の古い町ではよく見られ、それからきて町の名を"Stonewall""と呼ぶようになった例は少なくない。あるいは、特定の建物をそう呼んだり、たとえば、"Stone Inn"といった例もみられる。
石垣は古来からあらゆる文明で見ることができる。その手法も、自然の石をそのまま積み上げるものや、割った石や切った石を美しく組み上げて見栄えを良くしたもの、さまざまな種類の石を組み合わせて力を分散させ排水を良くして堅固にしたものなどがある。
平和な時代には、スコットランドなどでは、羊の牧草地を石の柵で囲ったり、あるいはアラン島では風の強い土地の耕作地を、風でわずかな土が飛ばないように石の柵で囲むといった例もある。日本などの棚田のあぜは石垣によって崩れないように補強されている。
琉球諸島など日本の南方の島々の伝統的な村落では、台風の被害を防ぐために、屋根に上に石を積み、家の周りに石垣を積んだりということも行われる。たとえば石垣島や竹富島など八重山諸島には、琉球石灰岩を積み上げて作った石垣に囲まれた家々が村の道沿いに並ぶ風景が残っている。また、首里城や中城城などのグスクでも、石灰岩を切石にして構造物のように積み上げた石垣の城郭を見ることができる。
[編集] 日本の城郭建設
日本の城郭などの石垣の建設では、穴太衆(あのうしゅう)に代表される近江国の石工の集団が有名であった。特に穴太衆は、穴太の里(比叡山の山麓にある、延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊)に古くから住んで古墳築造などを行っていた石工の末裔で、比叡山などの寺院などの石垣を手がけ、穴太衆積みと呼ばれる大小の自然石や割石などを組み合わせ堅固に仕上げた積み方が特徴的であった。彼らは織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになり、江戸時代初頭にかけて多くの城の石垣が穴太衆の指揮のもとで作られ、彼らは全国の藩に召し抱えられた。現在でも、坂本の町に多数立ち並ぶ里坊とよばれる延暦寺の末端の寺院群は、彼らの組んだ石垣で囲まれ町並みに特徴を与えている。
[編集] 関連事項
カテゴリ: 建築 | 城 | 土木史 | 建築関連のスタブ項目