矢沢頼康
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矢沢 頼康(やざわ よりやす、1553年(天文22年) - 1620年(元和6年))は、戦国時代の武将。真田氏の家臣矢沢頼綱の嫡男。真田昌幸の従兄弟にあたる。幼名三十郎。名は幸貞、頼幸とも。但馬守。
若い頃より沼田城代であった父に従い、天正期には既に城代をまかされていたとの記述もある。
天正12年(1585年)に昌幸の子幸村が上杉景勝の元へ人質に出される際には警護として随伴。上杉氏からの援軍を得て、徳川家康との神川の戦いでは大久保忠世らを散々に蹴散らす活躍を見せた。
関ヶ原の戦い後には当主となった信之に仕え、大坂の陣では信之の代わりに出陣した子(信政、信吉)らを補佐した。出陣にあたって、信之は頼康に「何事も油断なく、間に入って頼み入り候」と書き送っている。
頼康に子はなかったが、弟の頼邦が後を継ぎ、その後子孫は代々松代藩家老職を担って真田氏を支えた。