真田信政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
真田 信政(さなだ のぶまさ、1597年(慶長2年)11月 - 1658年3月8日(万治元年2月5日))は、江戸時代初期の信濃国松代藩主。真田信幸(信之)の次男。真田信吉の弟。
1614年からの大坂の陣に兄の信吉と共に徳川方として参戦したが、毛利勝永との戦いに敗れて兄と共に敗走した。1617年従五位下に叙任し内記を名乗る。1622年父信之の松代城転封に伴い、その領内で1万7000石を分知され大名に列する。1634年兄である沼田城主信吉が早世し甥熊之助が相続すると、幼年の熊之助を後見して沼田領の支配に当たった。1639年熊之助の早世により沼田城主となる。この際、相続した沼田領3万石の内5000石を熊之助の弟信利に分与し、今まで領有していた松代藩内分の1万7000石は弟隼人正信重に譲った。
1656年父が隠居したため松代藩の家督を相続したが、わずか2年で死去した。
- 真田氏(埴科藩初代)藩主
- 1617~1639
-
- 先代:
- -
- 次代:
- 真田信重
- 真田氏(沼田藩4代)藩主
- 1639~1656
-
- 先代:
- 真田信吉
- 次代:
- 真田信利
- 真田氏(松代藩2代)藩主
- 1656~1658
-
- 先代:
- 真田信之
- 次代:
- 真田幸道