相良頼之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
相良 頼之(さがら よりゆき)は、肥後人吉藩の第13代藩主。
|
||||
時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 寛政10年10月15日(1798年11月22日) | |||
死没 | 嘉永3年5月10日(1850年6月19日) | |||
別名 | 護之、英次郎(幼名)、頼重(初名) | |||
戒名 | 泰清院殿温際慧淳 | |||
墓所 | 熊本県人吉市の願成寺 | |||
官位 | 従五位下、近江守、壱岐守、紀伊守 | |||
藩 | 肥後人吉藩主 | |||
氏族 | 相良氏 | |||
父母 | 父:相良頼徳 | |||
兄弟 | 弟:相良頼由、相良頼直、万江頼保 | |||
妻 | 正室:亀井矩方の娘 | |||
子 | 5男3女(相良長福、準之助、池田章政、 相良頼基、貞四郎、於栄、 於保(米良則忠室のち宮原健之助室)、 於英(相良中務室) |
寛政10年(1798年)10月15日、第12代藩主・相良頼徳の子として生まれる。文化6年(1809年)2月5日に世子に指名され、文化11年(1814年)に従五位下、近江守に叙任する。文政元年(1818年)10月6日、父の隠居により家督を継いで藩主となる。
文政7年(1824年)5月13日、名を頼重から頼之と改め、壱岐守に転任する。父の時代から改革を行なっていた田代政典の改革が引き続いて行なわれた。天保10年(1839年)7月17日、長男の相良長福に家督を譲って隠居し、嘉永3年(1850年)5月10日に死去。享年53。