甲本ヒロト
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甲本 ヒロト(こうもと ひろと、本名:甲本 浩人、1963年3月17日 - )は、岡山県岡山市出身のロック歌手である。身長174cm。血液型O型。既婚。
ザ・コーツ、THE BLUE HEARTS、ヒューストンズ、THE HIGH-LOWSを経て、現在はザ・クロマニヨンズのボーカリストを務める。
ザ・クロマニヨンズ結成前に本人いわく、「記念として」ソロ・シングルを発表している。
そのパワフルさと朴訥さを兼ね備えた、ユニークなボーカルスタイルで知られる(ライブパフォーマンスの一環で、全裸になったり、よく跳んだり、舌をベロベロ出したりする)。 曲によっては10穴ハーモニカ(愛用はHOHNER社製のSpecial 20)を吹き、演奏技術には定評がある。
ブルーハーツ時代には、ひたすらアップテンポで盛り上がる「リンダリンダ」、愛を情熱的に歌い上げた「キスしてほしい」、人を勇気付ける「人にやさしく」などがヒットした。
ハイロウズ以降も、「日曜日よりの使者」「ロッキンチェアー」等、精力的に楽曲を発表している。そのパワーは全く衰えていない。
また、ザ・コーツ時代から山本正之と親交があり、山本正之のアルバム制作にたびたび参加している。
2000年には「タイムボカン2000・怪盗きらめきマン」のエンディングテーマ「フララン ランデブー」(山本正之楽曲提供)を歌っているほか、2005年に行われた「タイムボカン祭」にもゲスト出演した。
俳優の甲本雅裕は実弟。中学校時代には同じ学年に浅草キッドの水道橋博士がいる。
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[編集] 来歴
- 岡山大学教育学部附属中学校卒業。
- 岡山県立岡山操山高等学校(現在の岡山県立岡山操山中学校・高等学校)卒業。
- 法政大学経済学部中退。
- 1985年 - 真島昌利らとTHE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)結成。
- 1987年 - シングル「リンダ リンダ」で、ザ・ブルーハーツがメジャーデビュー。
- 1994年 - ザ・ブルーハーツ活動休止。
- 1995年 - ザ・ブルーハーツが表向き活動休止中(実際には解散状態)だったこの時期に、ソロアルバムのレコーディングをしている。(音源は未発表)
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- 6月にブルーハーツ解散を発表。真島らとTHE HIGH-LOWS(ザ・ハイロウズ)結成。
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[編集] 人物像
- 明るく優しい性格だというパブリックイメージが定着しているが、歌詞の端々でそんなイメージに対する反発を感じさせるフレーズがある。天才肌の人間によく有るように、天然っぽさと気難しさを併せ持っていると言えよう。
- 太い声をしていて聴いている人を包むようなやさしい声で歌う。
- プロレス・格闘技が大好き(同郷のプロレスラー田村潔司のジム「U-FILE CAMP」の創設期に会員(No.2)で、ジムに何度か通っていた。
- 甘い食べ物が好き
- アニメ、特撮戦隊ヒーローモノも好み、楽曲へのアニソンの影響も顕著。
- 体を大きく振ったり跳んだりする。気持ちが昂ぶると全裸になる。
- 江頭2:50の様な不規則な動きをする。
- 自らの手でカスタムしまくる程のバイク好き。ハーレー乗り。
- ザ・ローリング・ストーンズが来日すると、わざわざスケジュールを開けて出来るかぎりライブを見に行くという。
- 好きなものをモチーフにした楽曲も多い。
- バイク=「MONKEY」「ローリング・ジェット・サンダー」釣り=「テトラポットの上」NBA=「フルコート」プロレス=「闘う男」など。
- (「ローリング・ジェット・サンダー」「闘う男」は真島昌利作詞作曲)
- 男に乳首はいらないという持論を持っている。
- 必要以上に大きいブーツを履いている。
- 足が細長く、黒の細身のパンツがよく似合う。
- 実家はクリーニング店を経営していた(現在は閉店)。父について、「父親はアイロンを握ってる姿が1番かっこ良かった」と語っている。
- インタビューなどで雑誌に写真が出るときは大抵ロックTシャツを着ている。
- 映画好き。
- 真空管アンプを自作している。
- 中学校の頃、ラジオから偶然流れてきた「ドゥ・ ワ・ディディ」(マンフレッド・マン)に衝撃を受けた。
- ソロでイベントに出演する時、セックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」を自作の日本語の歌詞をつけて歌う事が多い。
[編集] 楽曲提供
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- 宮沢りえ「ボーイフレンド」「恋が命中」作詞・作曲
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- 坂井真紀「ビーナス」作詞・作曲
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- 坂井真紀「シャボン玉」作詞・作曲
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- 2丁拳銃「見せてごらん」作詞・作曲
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- あのねのね「∥(ひと)」作詞・作曲
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- マキシマムザホルモン「皆殺しのメロディ」作詞・作曲
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- 桜のころ(2002年6月12日)
- 真夏のストレート/天国うまれ(2006年7月5日)
[編集] インタビュー
- 「Bridge」1997年2月号のインタビューで「マンフレッド・マンを聞いて価値観というものがなくなり、勇気がりんりん湧いてきて食べ物の好き嫌いがなくなった」と語っている。
- 2005年のJAPAN COUNTDOWNで「僕はね、ロックを聴いたり見たりする時は饒舌に語れるの。でも自分でやる時はね、アウト・オブ・コントロールな部分が大きいんですよ。ちゃんとプロデュース出来てるかというと僕はわかんないし。ただ、自分のことではっきりといえるのは、その瞬間 楽しんでるかなということだけなの。それはもう味見と一緒です。なんで塩入れるのかわかんないし、なんで胡椒するのかわかんないしそれが何でこの塩で、何でこの量なのかも知らない。だけど味見して「美味い」と思うかどうかだけは自信がある。」と話している。
- 「長くやっていると、自分を追い込んだり他の人はしちゃうみたいだけど、ラッキーなことに、僕はマーシーとずっとやってるので、気楽にできている。」(2006年10月雑誌インタビュー)
- ブルーハーツからハイロウズ、クロマニヨンズ、と常にバンドの形を変化させていくヒロト。目指す場所は何処なのか?という質問に対して
- 「ロックンロールバンドが目指す場所はね、無いんだよ。中学生でもいい。小学生でもいい。高校生でもいい。例えばホウキでもいいんだ。ギター持ってなくてさ。ロックンロールに憧れて教室の隅っこでワァーってなる。すっげぇ楽しいんだ。そこがゴールです。そこにずっといるんだよ。そっからどこにも行かないよ。それが東京ドームになろうが教室の隅っこであろうがそんなの関係ないんだ。ロックンロールバンドは最初から組んだ時点でゴールしてんだ。目的達成だよ。」と答えている。(2006年10月 音楽戦士 MUSIC FIGHTER)
[編集] 関連人物
- 真島昌利(元THE BLUE HEARTS・THE HIGH-LOWS、現ザ・クロマニヨンズ)
- 河口純之助(元ブルーハーツ)
- 梶原徹也(元ブルーハーツ)
- 甲本雅裕(実弟)
- 松本人志(ダウンタウン)
- 渋谷陽一(ロッキング・オン代表取締役社長)
- 降谷建志(Dragon Ash)
- 浅井健一(元BLANKEY JET CITY)
- 水道橋博士(浅草キッド。中学時代の同級生)
- 山本正之(ミュージシャン)
- 有吉須美人(ジャズピアニスト)
- 大森うたえもん(高校・大学の先輩)
- 八嶋智人(大の仲良し)
- 東京スカパラダイスオーケストラ(ゲストヴォーカルとして参加)
- ハロルド作石(BECK0巻で対談)
- 矢沢永吉(「ぴあ」インタビューで「バンドやりなよ」と言葉を投げかけた)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 甲本ヒロト(公式サイト)
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