甲斐氏
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甲斐氏(かいし)
甲斐氏(かいし、かいうじ)は、越前国等の一族である。
出自は下野国であると思われるが、判然とはしていない。
甲斐氏は、室町幕府が成立し、斯波氏が越前守護となったころにその執事として入京した。甲斐教光が徐々に頭角を現し、娘を斯波義重(義教)に嫁がせて斯波義淳を生ませ、その立場を強固なものとした。また、甲斐将教は、越前・尾張・遠江の守護代となり、その後、甲斐氏が越前・遠江の両守護代職を世襲するようになる(尾張守護代は、織田氏が世襲するようになる)。甲斐将久の代となって最盛期となり、陪臣でありながら、将軍の出行を得られるほどにその家格は高かった。
しかし、長禄合戦直後の長禄3年8月12日、その将久が亡くなると、台頭著しい朝倉氏に圧迫されるようになる。
応仁の乱で、甲斐氏は、西軍に与するが、同じく西軍にあった朝倉孝景の東軍寝返りにより、窮地に立たされ、最終的に、甲斐氏は、越前での基盤を失い、遠江についても、隣国駿河の今川氏に圧迫される。
[編集] 歴代当主
- 甲斐教光【一】
- 甲斐将教【二】
- 甲斐将久【三】
- 甲斐敏光【四】
- 甲斐信久【五】