浮田幸吉
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浮田幸吉(うきた こうきち、宝暦13年(1757年) - 弘化4年(1847年)?)は、日本で初めて空を飛んだとされる人物。鳥人幸吉、表具師幸吉、櫻屋幸吉、備前屋幸吉、備考斎(びんこうさい)とも呼ばれる。
[編集] 経歴
江戸時代中期の宝暦13年(1757年)備前国児島郡八浜(現在の岡山県玉野市八浜)の浮田(櫻屋)清兵衛の次男として生まれた。7歳で父を亡くし岡山の紙屋に奉公に出て表具を習う。
空を飛ぶ鳥に興味を持ち、鳥が空を飛ぶメカニズムを研究した。「鳥の羽と胴の重さを計測しその割合を導き出す。それを人間の体に相当する翼を作れば人間も鳥と同じように空を飛べるはずである」と結論づけた。
表具師の技術を応用し、竹を骨組みに紙と布を張り柿渋を塗って強度を持たせた翼を製作した。試作を繰り返し、天明5年(1785年)夏、旭川に架かる京橋の欄干から飛び上がった。風に乗って数メートル滑空したとも、直ぐに落下したとも言われる。河原で夕涼みをしていた町民の騒ぎとなり、即座に岡山藩士によって取り押さえられた。時の藩主池田治政により岡山所払いとされた(江戸幕府より打ち首にされたという説もあり)。
その後、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)に移り、「備前屋幸吉」の名で郷里児島の木綿を扱う店を開いた。軌道に乗ったところで兄の子に店を継がせた。自身は歯科技師「備考斎」として技術力の高い義歯を製作することで評判となった。
晩年は、駿府でも空を飛んで見せ騒乱罪で死罪となったとも、遠江国見附(現在の静岡県磐田市)に移り妻子を得て平穏な余生を送り、弘化4年(1847年)に92年の長寿を全うし死去したとも伝えられる。
墓は静岡県磐田市の大見寺にあり、戒名は「釋帝玄居士」。
幸吉の飛行が事実であるならば、1849年にイギリスのジョージ・ケイリーが製作したグライダーによる飛行実験よりも60年以上早く、世界初の滑空飛行ということになる。
なお、1997年には旧岡山藩主池田家当主・池田隆政より、幸吉の岡山所払いが許されている。