浦太郎
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浦 太郎(うら たろう、1920年7月22日 - )は東京都出身の数学者。はじめは天文学者を志し萩原雄祐のもとで天文学を学んだが、その後数学に転向し福原満州雄に師事した。力学系の関数解析の分野で先駆的な業績がある。長男は工学者の浦環東京大学生産技術研究所教授。
1951年9月に戦後第2回フランス政府給付留学生として渡仏したが、マルセイユ港に到着した際、当時マルセイユに滞在していた建築家吉阪隆正が出迎え、パリに移ってから親交を深めた。帰国後に浦は吉阪に自邸の設計を依頼。1956年に完成した浦邸は今日では吉阪の代表作の1つとして評価されている。
[編集] 略歴
- 1943年:東京帝国大学理学部天文学科卒業。
- 1945年:東大助手。
- 1951年:神戸大学理学部助教授。9月、フランスに留学。
- 1957年:神戸大教授。
- 1962年:アメリカ合衆国RIAS研究所員。
- 1966年:ケースウェスタンリザーブ大学客員教授。
- 1975年:理学部長。
- 1979年:ストラスブール大学客員教授。
- 1984年:定年退官。