浅草花やしき
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浅草花やしき(あさくさはなやしき)は、東京都台東区浅草2-28-1にある日本最古の遊園地。1853年(嘉永6年)開園。敷地面積5800m²。国産初、日本で現存最古のローラーコースターがある。現在はバンプレストの子会社である株式会社花やしきが運営している。
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[編集] 営業時間・入園料・休園日
- 営業時間
- 10:00~18:00
- (11月~2月は17:00まで。ゴールデンウィーク、お盆は19:00まで。)
- 入園料
- 大人 900円
- 小人 400円
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- フリーパス(入園料別途)
- 大人 2200円
- 小人 1900円
- 休園日
- 毎週火曜日
[編集] 歴史
1853年(嘉永6年)に千駄木の植木商、森田六三郎が牡丹と菊細工を主とした植物園「花屋敷」が開園した。当時の敷地面積は約80000m2であった。江戸期は茶人、俳人らの集会の場や大奥の女中らの憩いの場として利用された。
明治に入り浅草寺一帯を浅草公園地とした際、花屋敷は奥山一帯と共に第五区に指定された。しかし敷地は縮小し、1885年(明治18年)に初めて所有者が変わった。翌年、勝海舟の書「花鳥得時」を入口看板として掲示した。この頃でも利用者は主に上流階級者であり、園内は和洋折衷の自然庭園という感じであったが、徐々に庶民にも親しまれるようトラ、クマなど動物の展示などを開始したり、五階建てのランドマーク奥山閣を建設し、建物内に種々の展示物を展示したりした。浅草が流行の地となるにつれて、この傾向は強まり、動物、見世物(活人形、マリオネット、ヤマガラの芸など)の展示、遊戯機器の設置を行うようになった。
大正から昭和初期には全国有数の動物園としても知られ、トラの五つ子誕生や日本初のライオンの赤ちゃん誕生などのニュースを生んだ。関東大震災の際は罹災民が集ったため、多くの動物を薬殺した。戦時下において徐々に規模を縮小し、まず1935年(昭和10年)に仙台市立動物園に動物を売却し、1942年(昭和17年)には強制疎開によりついに取り壊された。
戦時中松竹の関連会社となるが、戦後の1947年(昭和22年)東洋娯楽機との共同経営で再び開園し、遊園地「浅草花屋敷」と改名、2年後には東洋娯楽機に経営が委ねられ「浅草花やしき」と改名した。
そして1953年(昭和28年)のローラーコースター、1950年(昭和25年)のBeeタワーなど現在あるアトラクションが登場し始めた。
また花やしきは長らく入園料を取らず、利用する施設ごとに回数券などで料金を支払う形を取っていたが、1985年(昭和60年)の風営法改正に伴い回数券とは別に入園料の徴収を開始した。
2004年(平成16年)にトーゴ(旧・東洋娯楽機)が会社更生手続きの開始を申し立てたことにより、バンプレストの子会社、株式会社花やしきが8月31日にその事業を承継した。
[編集] 主なアトラクション
- ローラーコースター(旧 ロケットコースター)
- Beeタワー(旧 人工衛星塔)
- スペースショット
- お化け屋敷
- ゴーストの館
- メリーゴーランド
[編集] 関連項目
- 単行本76巻「浅草七つ星物語の巻」その他で、浅草花やしきが取り上げられている。
- 主役である山田奈緒子こと仲間由紀恵が花やしきの舞台でいつも手品を披露してはクビになる。
- 帝撃花組メンバーの李紅蘭が、帝撃花やしき支部で光武の整備開発等を行っていた。
[編集] 外部リンク
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