浄光院
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浄光院(じょうこういん)
浄光院(じょうこういん、天正12年(1584年) - 寛永12年9月17日(1635年10月27日))は江戸幕府2代将軍徳川秀忠の側室。会津藩祖・保科正之の生母。父は元後北条氏家臣の神尾栄加。名はお静。
慶長年間に秀忠の乳母・大姥局に仕える。その際、秀忠に見初められて子供を懐妊。秀忠は正室崇源院の怒りを買う事を恐れたためか、見性院(武田信玄次女、穴山梅雪正室)の元にお静を預ける。そこで1611年に幸松(後の正之)を生む。1617年、幸松が名目上保科正光の子とされたため、お静もそれに伴って高遠城に住むようになる。
1635年、同地にて52歳で病死。一旦長遠寺(長野県伊那市)に葬られ、正之が会津藩主となった後は浄光寺(福島県会津若松市)に改葬される。戒名は浄光院殿法昭日慧大姉。