流星艦上攻撃機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦上攻撃機「流星」は、太平洋戦争末期に登場した旧日本海軍の艦上攻撃機である。
目次 |
[編集] 概要
十六試艦上攻撃機として1941年から愛知航空機で開発開始、1942年12月、試作1号機初飛行。主翼等を大幅に改設計した試作2号機(B7A2)は1943年初飛行した。1945年3月に制式化され、「流星改」と命名された。終戦までに111機が生産された。この機体は、一部が横須賀海軍航空隊で実験機として使用されたが、終戦までの間に実戦部隊で「流星改」を装備したのは、第三航空艦隊所属の第752海軍航空隊・攻撃第五飛行隊のみであった。
なお、「流星改」を装備した第752海軍航空隊・攻撃第五飛行隊は、1945年5月以降、千葉県の木更津海軍航空基地に展開し、終戦直前の1945年7月下旬(7月25日)から同年8月15日の終戦当日までの数回にわたり、当時、関東沖を中心として日本本土近海に接近し、日本本土各地に対する空襲作戦を遂行していた米英海軍高速空母機動部隊に対する攻撃を、(7月25日の夜半に第二波攻撃隊として出撃した5機編成の夜間雷撃隊による夜間雷撃を含めて)少数機により敢行したが、その戦果は不明である。
この機体は、それまでの艦上攻撃機と艦上爆撃機の任務を一機でこなすために、水平爆撃・雷撃・急降下爆撃の全てをこなせる機体として開発された。
高速力を得るために、空気抵抗となる爆弾を胴体内爆弾倉に収めるため(航空魚雷は爆弾倉外の胴体下面に懸吊)、中翼の形式をとり、空力的な効果と、脚を短くするために逆ガル翼を採用した。エンジンは中島の「誉」を採用した。また、九七艦攻や天山が、敵艦に接近する攻撃機にもかかわらず防弾装備を持たなかったのに対し、本機はそれらの装備を持った唯一の艦上攻撃機である。
[編集] 形式
- 単発
- 逆ガル型中翼単葉
- 全金属製
- 応力外皮構造
- 引き込み脚
- 尾輪式
- 艦上機
[編集] スペック
- 全長 11.49 m
- 全幅 14.40 m(主翼折りたたみ時8.30 m)
- 全高 4.07 m
- 翼面積 35.40 m²
- 機体重量 3614 kg
- 全備重量 5700 kg
- エンジン 中島「誉」12型 18気筒複列星型 1,360 kW (1,825 hp)
- プロペラ VDM定速4翅
- プロペラ直径 3.50m
- 最大速度 543 km/h(高度6000 m)
- 巡航速度 370 km/h(高度4000 m)
- 着陸速度 129 km/h
- 航続距離 1,850~3040 km(装備によって変化)
- 実用上昇限度 8950 m
- 上昇時間 6000m/10分20秒
- 乗員 2名
[編集] 武装
- 20mm機関砲2門(主翼固定)
- 13mm重機関銃1門(後上方旋回)
- 800kg魚雷1本・800kg爆弾1個・250kg爆弾2個・60kg爆弾6個(いずれか一つ)
[編集] 流星が登場する作品
[編集] 小説
- 『征途』佐藤大輔・著(フィクション)
[編集] 参考文献
- 『流星戦記―蒼空の碧血碑、海軍攻撃第五飛行隊史話』吉野泰貴・著 (株)大日本絵画
カテゴリ: 軍事航空スタブ | 爆撃機 | 大日本帝国海軍航空機