津山城
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備中櫓(2005.3.19落成式当日) | |
通称 |
鶴山城 |
城郭構造 |
梯郭式平山城 |
天守構造 |
独立式(非現存) |
築城主 |
山名忠政 |
築城年 |
1441年 - 1444年(嘉吉年間) |
主な改修者 |
森忠政 |
主な城主 |
山名氏、森氏、松平氏 |
廃城年 |
1873年(明治6年) |
遺構 |
石垣、堀、復元櫓・塀 |
津山城(つやまじょう)は日本の城。所在地は岡山県津山市。別名・鶴山城。国指定史跡。
目次 |
[編集] 概要
城郭の形式は梯郭式平山城。津山盆地の中央部に位置する。城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取りれている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要部を形成している。
天守は破風を持たない南蛮造り5重5階の独立層塔形式で、小倉城の天守を模したものともいわれている。しかし、明治6年(1873年)の廃城令により櫓など他の建物と共に悉く破却され天守台の石垣みとなっている。
現在は鶴山公園(かくざんこうえん)として桜の名所となっており日本さくら名所100選にも選ばれている。2005年に備中櫓が復元された。また、2006年に日本100名城に選定された。
[編集] 沿革
- 嘉吉年間(1441年 - 1444年)美作国の守護大名であった山名教清が、一族の山名忠政に現在の津山城のある丘陵(鶴山)に鶴山城を築かせたのが最初である。しかし応仁の乱で山名氏衰退ののち廃城となる。
- 慶長8年(1603年)森忠政が18万6千石で入封し津山藩が立藩。同年、現在見られる津山城の建設に着手。また、城地の名を「鶴山」から「津山」に改めた。
- 元和2年(1616年)13年の歳月をかけ、5層の天守を戴き櫓や城門などを合わせ80余棟が建ち並ぶ大規模な近世城郭が完成。
- 元禄10年(1697年)森氏断絶。安芸国広島藩主・浅野綱長の預かりとなる。
- 元禄11年(1698年) 松平宣富(越前家)が越後国高田藩より10万石で入封。以後、明治4年(1871年)の廃藩置県まで城主となる。
- 明治6年(1873年)廃城令により大蔵省管理となり競売される。
- 明治7年 - 明治8年(1874年 - 1875年)天守・櫓などの建物が悉く破却される。
- 明治23年(1890年)腰巻櫓跡石垣の崩落。これを契機に城の保存運動が起こる。
- 明治33年(1900年)城跡は町有化され鶴山公園となる。以後、津山町の管理下のもと保存整備され、桜の木が多数植えられる。
- 明治38年(1905年)三の丸に藩校修道館を移築し、「鶴山館」と改称する。
- 昭和38年(1963年)国指定史跡となる。
- 平成14年(2002年)築城400年記念行事の一環として、備中櫓復元工事に着手。平成17年(2005年)完成。
- 平成18年(2006年)天守台南側に太鼓塀を復元。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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