波佐見焼
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波佐見焼(はさみやき)は長崎県東彼杵郡波佐見町で焼かれる磁器のことである。中心となる焼き物は呉須で描かれた青磁で、同県の三川内焼とは対照的に、江戸時代から大衆向けの食器を焼いてきた。著名な産地である有田の陰に隠れているが、当時から染付磁器の生産量は日本一であったといわれる。18世紀以降の江戸時代の遺跡から出土する磁器は、その大部分が波佐見焼であると推察される。特に波佐見からヒットした商品に「くらわんか碗」と輸出向けの「コンプラ瓶」がある。なお、今日でも食器生産が盛んで、磁器製の茶碗や食器類のシェアは国内トップクラス。
[編集] 主な作品
- くらわんか碗
- 波佐見焼最大のヒット作と呼ばれる、簡単な絵付を施した磁器。名は、淀川の京都・大坂間にある枚方宿で、商人が小舟で三十石船に近づいて「酒食らわんか餅食らわんか」と囃しながら食事などを売った「くらわんか舟」に由来する。ヒットした最大の理由は、磁器を初めて庶民の手に遍く普及させたためである。それまで磁器は赤絵染付など高価なイメージが強く、庶民にとって高嶺の花であったが、このくらわんか碗は磁器は高いという従来の常識を見事に覆し、庶民の食文化を一段と向上させた。
- コンプラ瓶
- 簡素な染付白磁を用いた徳利型の容器。蘭瓶とも呼ばれ、専ら輸出用に作られた酒瓶である。中には酒や醤油を詰め込み、東インド会社を経由して遠くへ運ばれた。意匠は至って単純で、オランダ語で「日本の醤油」「日本の酒」と書かれているが、横文字の字体がデザイン化されている磁器は他に類を見ない。多くの歴史上人物に愛されたといわれる。
[編集] 歴史
波佐見焼は慶長三年に大村藩主、大村喜前が朝鮮の陶工、李祐慶が村内に登り窯を築いたのが始まり。当初は釉薬を施した陶器を焼いていたが、良質の陶土を発見したことによって磁器生産が中心となった。その後、大衆向けが中心となった理由は、磁器の大量生産を奨励したことが大きい。