くらわんか舟
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くらわんか舟(-ふね)とは江戸時代、淀川を往来する大型船に対して飲食物を売っていた主に枚方地方の小舟のこと。貸食船(煮売船・にうりぶね)とも呼ばれ、公式には茶船と呼ばれていたが、くらわんか舟という俗称が定着した。
枚方宿は淀川を使い京都伏見と大阪八軒家船着場の間を往復していた三十石船の中継港であったが、枚方で停船しようとする三十石船に近づき、飯や汁物、酒などの食べ物・飲み物を販売していた小舟が「くらわんか舟」と呼ばれていた。「くらわんか」とは、この地方の方言で「食べないのか」を乱暴に言った意味(現在の河内弁では「食べへんのか」に相当)で、夜と昼とを問わず三十石船に近づき、乗客たちに「くらわんか」と声を掛け販売していたことから「くらわんか舟」という名がついた。東海道中膝栗毛などさまざまな紀行文学で、くらわんか舟の船頭たちが「飯くらわんか、酒くらわんか、銭がないからようくらわんか」と大声でがなりたてながら寝ている客を乱暴に起こして回り食事を売るさまが描かれている。
もともとは対岸の高槻の柱本が発祥といわれている。柱本の船頭たちは、大坂夏の陣などで徳川方の物資運搬にに協力した功績で幕府から営業特権を与えられ茶船の商売を始めるようになり、後に対岸の枚方宿に移るようになった。またこの際、地元の乱暴な言葉遣いのまま飲食を売ってもかまわないという不作法御免の特権も与えられたため、身分の高い人に対しても「くらわんか」と叫ぶことが許されており淀川往来の名物となっていた。
こうした商売は淀川の水運が鉄道へと変わる明治ごろまで続いていたが、いまでも菓子の名などに「くらわんか」の名は残っている。