河内型戦艦
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河内型戦艦(かわちがたせんかん)は日本海軍の戦艦。同型艦は「河内」、「摂津」の2隻で1912年に竣工した。「河内」は1918年7月12日徳山湾で爆発事故により沈没。「摂津」は第一次世界大戦後標的艦となり1945年7月24日呉で米機動部隊の空襲により大破着底した。
本級は 日本海軍が第一次世界大戦前に竣工させた最初で最後の弩級戦艦の艦級である。本型から基本計画番号「A-30」が付され、「伊号戦艦」と号せられた。
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[編集] 艦形について
船体は水平甲板型で、ほぼ垂直に切り立った艦首から(摂津はクリッパー・バウ)新設計の「1912年型30.5cm(50口径)砲」を連装砲塔で1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、本級から採用された三脚檣、三本煙突のうち1番、2番間は離され、その両舷には「1908年型30.5cm(45口径)砲」を背中合わせ配置で2基の計4基配置した。後部三脚檣、後部主砲塔の順である。二種類の砲身長の違う同口径砲を主砲として搭載したため、砲の特性を活かすためには炸薬装填量の違う二種類の用意する必要が発生したといわれている。また、同口径砲でも砲身長が違うため有効射程や砲特性のズレから統一指揮に不都合があったのではないかと指摘する説もある。主砲の統一指揮は弩級戦艦の必須条件であるが、河内型はその条件を満たしていない事になる。ゆえに河内型は弩級戦艦ではなくて準弩級戦艦ではないかという意見がある。
[編集] 主砲塔配置
主砲塔の配置には特色があり砲の口径を考えなければドイツ海軍の「ナッサウ級」「ヘルゴラント級」と主砲の配列は同じであった。ちなみに同世代の戦艦でイギリス海軍の「ネプチューン級」「コロッサス級」、アメリカ海軍の「デラウェア級」「フロリダ級」は全門舷側指向が可能であったのに対し、旧態化は否めないが、敵艦隊と乱戦時に反対舷からの巡洋艦が回りこんで攻撃して来た場合に即に対応できる利点も有った。
[編集] 副砲等
副砲は日本戦艦として初めて「1910年型15.2cm(45口径)砲」を採用し、二番甲板の下方に舷側ケースメイト配置に方舷5門ずつ配置した。その他に対水雷艇用に「1908年型12cm(40口径)砲」を12門、「7.6cm(40口径)砲」を単装砲で16門、45cm水中魚雷発射管3基を装備した。
[編集] データ
[編集] 竣工時
- 水線長:160.3m
- 全長:152.4m
- 全幅:25.7m
- 吃水:8.2m
- 基準排水量:20650トン
- 常備排水量:-トン
- 満載排水量:-トン
- 兵装:
- 30.5cm(50口径)連装砲 2基
- 30.5cm(45口径)連装砲 4基
- 15.2cm(45口径)単装砲 10基
- 12cm(40口径)単装砲 8基
- 8cm(40口径)単装砲 12基
- 45cm水中魚雷発射管 3基
- 機関:宮原式石炭専焼缶16基+タービン2基2軸推進
- 最大出力:25000hp
- 航続性能:18ノット/2700海里
- 最大速力:20ノット
- 装甲
- 舷側装甲:305mm(水線部舷側砲塔間のみ)、127mm(水線部)、229mm(水線上部)
- 甲板装甲:76mm
- 主砲塔装甲: 305mm(前盾)、229mm(側盾)、-mm(後盾)、-mm(天蓋)
- パーペット部:280mm
- 司令塔:254mm
- 乗員:990名
[編集] 関連項目
大日本帝国海軍の戦艦 |
創設から日露戦争終結まで |
富士型:富士 | 八島 敷島型:敷島 | 朝日 | 初瀬 | 三笠 |
日露戦争後からド級戦艦まで |
香取型:香取 | 鹿島 薩摩型:薩摩 | 安芸 筑波型:筑波 | 生駒 鞍馬型:鞍馬 | 伊吹 |
ド級戦艦建造から第一次世界大戦まで |
河内型:河内 | 摂津 金剛型:金剛 | 比叡 | 榛名 | 霧島 扶桑型:扶桑 | 山城 伊勢型:伊勢 | 日向 |
八八艦隊計画 |
長門型:長門 | 陸奥 加賀型:加賀 | 土佐 天城型:天城 | 赤城 | 愛宕 | 高雄 紀伊型戦艦:紀伊 | 尾張 | (駿河) | (近江) 十三号型巡洋戦艦:十三号艦 | 十四号艦 | 十五号艦 | 十六号艦 |
太平洋戦争 |
大和型:大和 | 武蔵 | 信濃 | |
日本が保有した他国の戦艦(戦利艦) |
日清戦争戦利艦:鎮遠 日露戦争戦利艦:石見 | 肥前 | 丹後 | 壱岐 | 周防 | 相模 第一次世界大戦戦利艦:トゥルグット・レイス | ナッソー | オルデンブルク |