池谷・関彗星 (C/1965 S1)
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彗星 周期彗星の一覧 / 非周期彗星の一覧 |
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発見 | |
発見者 | 池谷薫、関勉 |
発見日 | 1965年9月18日 |
符号・別名 | C/1965 S1 = 1965 VIII = 1965f C/1965 S1-A (A核) C/1965 S1-B (B核) |
軌道要素 - IAUNASA | |
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離心率 (e) | 0.999915 (A), 0.999925 (B) |
近日点距離 (q) | 0.007786 (A), 0.007778 (B) AU |
軌道長半径 (a) | 91.6 (A), 103.7 (B) AU |
遠日点距離 (Q) | 183.2 (A), 207.4 (B) AU |
公転周期 (P) | 877 (A), 1056 (B) 年 |
軌道傾斜角 (i) | 141.8642 (A), 141.8610 (B)° |
近日点引数 (ω) | 69.0486 (A), 69.0343 (A)° |
昇交点黄経 (Ω) | 346.9947 (A), 346.9811 (B)° |
前回近日点通過 | 1965年10月26日 |
次回近日点通過 | 2842年 (A), 3021年 (B) ごろ |
池谷・関彗星(いけや・せきすいせい)は、アマチュア天文家でコメットハンター(彗星捜索家)の池谷薫と関勉がそれぞれ1965年9月18日未明(日本時間)に発見した彗星。符号は C/1965 S1。また、当時使用されていた古い表記法では、仮符号が 1965f 、確定符号は 1965 VIII である。同名の彗星に C/1967 Y1 があるが、通常「池谷・関彗星」といった場合は C/1965 S1 を指すことが多い。
発見当時、台風24号が土佐沖を通過し、9月17日21時には955ヘクトパスカルの勢力で三重県に上陸して北東に進んでいた。池谷薫は浜松市で台風の目の通過中に自作の口径 15cm 倍率 22 倍の反射望遠鏡で、関勉は高知市で台風通過後の晴れ間を利用して自作の口径 8.8cm 倍率 19 倍の屈折望遠鏡を用いて彗星を捜索し、うみへび座にあった池谷・関彗星をほぼ15分ほどの時間差で独立に発見した。そのときの光度は7-8等級であった。両者からの発見電報を受けた東京天文台(現国立天文台)では、ベテランコメットハンターの同時発見ということで、国内での確認作業なしでアメリカのスミソニアン天体物理観測所にある天文電報中央局に報告した。この彗星の確認観測はオーストラリアのウーメラ天文台で行われ、正式に「池谷・関彗星 (1965f)」の名前が確定した。この発見は、池谷薫、関勉共に3個目の独立発見となった。この小さな彗星が、この後に世紀の大彗星へと成長したことから、2人は世界的に有名になることとなった。
彗星の軌道をある程度正しく計算するには、数日から1週間程度の複数の観測が必要であるが、フランスのロジェ・リゴレー (Roger Rigollet) は、この彗星の発見位置と運動方向から、池谷・関彗星が19世紀にいくつもの大彗星を出現させたクロイツ群に属することに即座に気付いた。その後の観測から軌道を計算したところ、この彗星は確かにクロイツ群に属するもので、10月21日に太陽表面からわずか約45万km(太陽の直径の約1/3)のところを通過し、極めて明るくなると予報された。彗星の明るさは予想通りにならないことが多いが、池谷・関彗星は予想通りの光度変化をし、太陽に近づいて明るくなっていった。日本では、10月21日正午ごろ(日本時間)の近日点通過時には、彗星が推定-17等級に達し、約60分間の間満月よりも明るくなったのが観測された。昼間の太陽のすぐ近くでもはっきり見え、尾が太陽の周りに巻きついているように見えたという報告もあった。また、長野県と岐阜県にまたがる、東京天文台(当時)の乗鞍コロナ観測所では、コロナグラフというコロナ撮影専用の特殊な装置を使って写真撮影に成功した(外部リンク参照)。この彗星は過去数千年で最も明るくなった部類に入るということが明らかになっており、「1965年の大彗星」とも呼ばれる。
近日点通過の直前に、核が3つ程度に分裂したのが観測され、そのうち2個(A核、B核)については近日点通過後にも長期にわたって詳しい観測がある。これらの核はあまり離れることなくほとんど同じ軌道を進んだため、肉眼や小望遠鏡では1つの彗星として観測された。彗星は10月27日頃になって、明け方の薄明の空に2-3等級のコマと明るく長い尾を持って再び現れた。11月初旬には、コマが4等級と暗くなったが、薄明前の暗夜に細長い尾をもった姿を好条件で観測できるようになった。このときの尾の長さは、眼視で20-30度、写真では40度ほどと報告されている。当時は高度経済成長以前で、光害が進んでいなかったため夜空は暗く、また天候にも恵まれたため、日本など北半球の各地で雄大な尾を連日見ることができた。日本人が発見したということもあり、この彗星をきっかけにして天文を趣味にしたり彗星捜索を始めた日本人も多い。11月に入っても彗星は相変わらず長い尾を見せていたが、急激に光度を落とし11月10日すぎ肉眼では見えなくなった。その後も、彗星は太陽系の外部へ遠ざかりながら急速に暗くなっていき、1966年の始めには大望遠鏡を使っても観測できなくなった。3等級以上の明るさを保っていた期間は2週間程度だったが、最も美しい姿を見ることができたのは10月末と11月初旬の数日間であった。
先に述べたように、池谷・関彗星は太陽の表面を掠めるような軌道をとるクロイツ群の彗星の一つであることが分かっている。クロイツ群は、過去に太陽に大接近した1個の巨大彗星が分裂し、さらにそれらが繰り返し太陽に近づいて分裂を繰り返して生じたものだと考えられている。近年、人工衛星SOHO のコロナグラフ画像からは、10年間に1000個ほどのクロイツ群彗星が見つかっているが、地上から観測されるような大きなものは見つかっていない。池谷・関彗星は1106年に太陽に接近した大彗星(X/1106 C1)が分裂して生じたと考えられており、このときに分裂した別の破片のうちのひとつが19世紀を代表する大彗星のひとつである『1882年の大彗星』(C/1882 R1)であると考えられている。池谷・関彗星自身も、主核(A核)については877年、B核については1056年の周期が計算されており、10世紀ほど後に再び太陽に大接近すると予想されている。
[編集] 外部リンク
- 10cmコロナグラフで撮影した池谷・関彗星 - 国立天文台 乗鞍コロナ観測所
- 池谷・関彗星奇談(1) , (2) - コメットハンター関勉のホームページ
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