池田政香
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池田 政香(いけだ まさか、元文6年2月14日(1741年3月30日) - 明和5年8月25日(1768年10月5日))は、備中国鴨方藩の第4代藩主。父は第3代藩主・池田政方(政香は長男)。母は三村氏。正室は松平信復の娘で振。森俊春の娘。官位は従五位下。内匠頭。
元文6年(1741年)2月14日生まれ。幼名は春五郎。宝暦10年(1760年)3月14日、父の隠居により家督を継いで藩主となる。
藩主としては有能で温厚篤実な人物だった。特に朱子学の才能に優れており、自ら藩校に出向いて学者や学生と討論するほどであった。その才能には本家の岡山藩主・池田継政も「内匠(政香)は尋常の人に非ず。万端に心を用ひ、及ばざること遠し。誠に国宝といふべきなり」と高く評価している。しかし惜しいことに明和5年(1768年)8月25日、28歳の若さで死去してしまった。死後、家督は弟の池田政直が継いだ。
家臣の浦上玉堂は、政香の若すぎる死を惜しんで、「止仁録」という政香の一代記を著作している。墓所:岡山市小橋町の国清寺。
- 池田氏(鴨方藩4代)藩主
- 1760~1768
-
- 先代:
- 池田政方
- 次代:
- 池田政直