永田秀次郎
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永田 秀次郎(ながた ひでじろう、1876年7月23日 - 1943年9月17日)は、第8・14代東京市市長、拓殖大学第4代学長、貴族院議員、俳人。兵庫県三原郡倭文(しとおり)村(現在の南あわじ市)出身。元自由民主党衆議院議員の永田亮一は長男。
姫路中学校(現在の兵庫県立姫路西高等学校)、第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)を卒業。俳人としての号は永田青嵐。
[編集] 主な経歴
- 洲本中学校(現在の兵庫県立洲本高等学校)第3代校長(1902年11月 - 1904年9月、26歳で就任)
- 大分県視学官(1904年9月 - )
- 京都府警察部長
- 三重県知事
- 警保局長(1916年 - )
- 東京市助役(1920年12月22日 - 1923年5月29日)
- 東京市長(1923年5月29日-1924年9月8日、1930年5月30日-1933年1月25日)
- 拓殖大学学長(1929年5月 - 1943年9月)
- 貴族院議員
- 拓務大臣(広田弘毅内閣、1936年3月9日 - 1937年2月2日)
- 鉄道大臣(阿部信行内閣、1939年11月29日 - 1940年1月14日)
- 東京市長
- 第14代: 1930年-1933年
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- 先代:
- 堀切善次郎
- 次代:
- 牛塚虎太郎
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