水晶髑髏
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水晶髑髏(すいしょうどくろ)とは、考古遺物と(主張)されている水晶で作られた人間の頭蓋骨模型のことである。 ただし、あまりにも精巧に造られているためにオーパーツとして取り上げられ、本当に出土品であるかどうかも後述するとおり疑われている。
現在は十数個が確認されているが、一般にはイギリスのF.A.ミッチェル.ヘッジスが1927年にベリーズ南部の古典期の遺跡ルバアントゥンで発見したとされるものを指すことが多い。ミッチェルの娘アナの17才の誕生日に発見され、彼らが遺跡の調査を中断して水晶髑髏を私蔵したたため、様々な憶測を呼んだ。このミッチェルの水晶髑髏(ヘッジス・スカル、ヘッジスの水晶ドクロなどとも呼ばれる)は、実物大で、解剖学的にみても精緻に造られている。しかし、髑髏を「発見」したとされる日、既にミッチェル・ヘッジスはイギリスに帰国しており、発見者のアナはベリーズに入国した形跡も無いことも判明している。そのため、ベリーズの遺跡で発見されたものであるかは疑わしいとの主張もある。また十数個体のうちひとつは、1944年にオークションで買われたものであることが判明しており、19世紀後半にドイツで作られたらしい。
1970年代にカリフォルニア州にあるヒューレット・パッカード社水晶研究所(?)での分析結果によると、
- ヘッジスの水晶ドクロは、1個の水晶から造られていて、「下顎骨」部分は、取り外し可能である。
- 道具による加工痕がない。また、ひびも入っていない。
- 水晶の石目を無視して彫られている。
- 復顔をした場合、マヤ人と同じモンゴロイドの顔立ちになる。しかし年齢は特定できない。
- 制作年代は、不明である。
とのことであった。
これらの髑髏の素材となる水晶は硬度の高い物質であり、また割れやすく加工は難しい。 現代の道具を用いずとも、時間をかけて磨いていけば人間の手でも髑髏への加工は可能と言われているが、人力による手作業では300年以上はかかるとする見解もある。
もうひとつ有名なのは、アステカの遺跡から発見されたという大英博物館にある「頭蓋骨」であるが、ろくろの加工痕があり、19世紀後半に製作したものであることが判明した。この「頭蓋骨」は、フランス人のユージン・ボバレがアステカの遺跡から出土したと主張していたもので、ニューヨークの宝石商の手を経て1898年に大英博物館にわたったものである。
なお、誰が言い出したのかはわからないが、「水晶ドクロは全部で13個あり、全てが再び一ヶ所に集結した時、宇宙の謎が暴かれる」らしい。とりあえずは10個ほど「発見」されており、ピンク色の可愛いものや、かなりいびつな形をしたものまで様々である。ただ、ミッチェル・ヘッジスの髑髏が最も精巧な出来栄えである。
ちなみに、この水晶髑髏をモチーフとしたRPGが、シムシティで知られるマクシス社から発売されたことがある。
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[編集] 特殊なレンズ効果
ヘッジスの水晶髑髏には特殊な効果がある、と所有者(および支持者たち)は主張している。
- 下から光を射すと、眼窩に光が集中する。
- (その光を凝視していると1分弱で大半の人が催眠状態に陥るという主張もある)
この他にも主張者たちは、もし現在の技術や手段を用いて水晶髑髏を造ったとしても、この特殊なレンズ効果は今もって仕組み・構造がわかっておらず、今の最先端技術をもってしても再現は不可能であると主張している。
ただし、これらは実際に学術的な研究や検証などが行われた訳ではなく、また水晶の髑髏による効果とされるもののうちの幾つかは生理現象や物性による説明も可能であり、水晶の髑髏に神秘性を求める者たちの主張の域を出ているわけではない。
[編集] 参考文献
寺崎秀一郎『図説古代マヤ文明』河出書房新社,1999年