氏家直元
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氏家 直元(うじいえ なおもと、生年不詳 - 元亀2年5月12日(1571年6月4日))は、戦国時代の武将。出家後に名乗った「卜全」(ぼくぜん)の号が著名であり、一般的には氏家卜全の名前でよく知られている。西美濃三人衆の一人。氏家行隆の子。氏家直通、氏家行広、氏家行継の父。大垣城城主。
はじめ土岐頼芸の家臣として仕えたが、斎藤道三によって頼芸が追放されると、道三の家臣として仕えた。道三死後は斎藤義龍、次いで斎藤龍興に仕えたが、龍興とは折り合いが悪かったため、稲葉一鉄や安藤守就と共に織田信長の稲葉山城攻めで内応し、以後は織田氏の家臣として仕えた。
1569年、北畠具教が籠城する大河内城攻めなどに参加して活躍したが、1571年の伊勢国長島攻めで織田軍が撤退するとき、殿軍を務める中で一揆衆に襲われて戦死した。家督は長男の直通が継承した。
大坂の陣で活躍した氏家行広(荻野道喜)は、直元の次男である。