武田信之
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武田 信之(たけだ のぶゆき、天文12年(1543年) - 天文22年(1553年)?)は、甲斐国の戦国大名武田信玄と正室三条の方の三男として誕生する。西保三郎とも称した。
[編集] 生涯
甲斐の生まれ。5歳年上の長兄義信と2歳年上の次兄信親がいた。のちに武田家の家督を継いだ四郎勝頼は、3歳違いの異母弟である。義信謀反事件のとき、盲目の信親(竜芳)は既に出家、生きていれば信之が後継者だが、すでに14年前の1553年に夭折していた。
ただし、上総武田氏の系譜に従えば、同氏宗家の最後の当主で1590年の豊臣秀吉の関東平定軍に破れて自害した武田豊信は実は信玄の3男(信之)が養子として同氏に入嗣したものであるという。また、これとは別に武田氏滅亡時に仁科盛信の3男が豊信が盛信の実兄である事を頼りに落ち延びたという伝承が遺されている。
いずれの説をとるにしても、三条の方の生んだ子は、全員悲劇の道を歩んでいる。
[編集] 系譜
- 両親
- 同母兄弟
- 異母兄弟
- 同母姉妹
- 異母姉妹
- 真理姫
- 甲斐御前
- 信松尼